つくねん

ただの日記

話さないものの中に

 

2月6日に提出した確定申告は

2月18日に還付金額のお知らせがあり、24日に振込手続きがされて

そこから4〜5営業日で振込まれるらしい。

だいたい1か月かな。

昨年より遅いのは、コロナでe-taxを使う人が増えているからとかなのかしら?

そうでもないのかな。

この時期の税務署でバイトをしていたことがあるけど

来る日も来る日も、OCRで読み取れない達筆の氏名住所各種数字の打ち込みをしていた。

おかげさまでテンキーの入力スピードが上がった気がするくらいだったなぁ。

 

昨日、友人との会話で何をあんなにイライラしたんだろう。

と考えていたんだけど、

やっぱりあれかなぁ。

人の人生の出来事の一部(とてもとても大きな一部には違いないけれど)を見て

絶望しかないとか、生きていけないとか、そんなことを外野でしかない人間が

言い切りの形で語っちゃうことに、イラついたのかもしれない。

壮絶な体験をしていたら、目を引くし、ニュースバリューというのもあるんだろう。

でも、その体験をしてもなおその人は今までこうやって生きてきたわけで。

もしかすると、想像通り、絶望しかなかったのかもしれないけれど

でももしかしたら、喜びとか幸せとかを持って生きてきたかもしれず。

そういうのを全部バッサリと切って、人の人生を絶望だなんて言うのは違うんじゃないか。 

大きな事件事故に遭遇した人たちだけに目を向けるのもまた

違うんじゃないかな。というのもある。

阪神でも東日本でも、そこで親を亡くした子どもがいて

それは確かにケアされるべきなんだけど

そうじゃなくたって親を亡くしている子はいるし

各々に事情があり背景がある。

壮絶な話もある。

その辺の元気な女子高生が、口を開けば

親にお前さえ生まれてこなければと責められたとか

親の自殺未遂を止めて風呂場で二人で泣いたとか

親の自殺の第一発見者だったとか

そう言う背景を持っているのなんてわりに少ないことではなくてさ。

見えていないだけのことで。

そしてそう言う子達も、笑ったり喜んだり歌ったり人を好きになったりするのだし

うまく生きられないこともそりゃあるけど

でも生きていくことの人一倍の頑張りを、

外野がバッサリ切り捨てるのは違うんじゃないかなぁと

そんなことを思ったのだろうな。

 

私は自分の体験を友人たちには何も話していないから

外目にはただ早く親を病気で亡くした人なのだけど

でも結構しんどい話があったので

そういう部分が反応しちゃったのかもしれない。

話題性のある書きやすいことだけを書いて、

それでその人を分かったようになるのは違うんじゃないかなぁ。

そんなことを言うと喧嘩になりそうだから、イライラしてたのかもな。

君はどうして家族の中であんなに浮いているの、というのも

全ては私が話さないものの中にあるんだろうな。

でももう人に話そうとは思わないな。

疲れるし話すことでまた傷つくし、家族および自分の恥さらし大会になっちゃうし。

よほど信頼できる大切な人ができたら別かもしれないけど。わかんないな。

 

そうそう。

最近、自分の返答バリエーションに もちろん と言うのが入っていることに気が付いて。

いつも私がなんかしていいか(食べていいかとか行っていいかとか)と相手に聞いたときに もちろん と言ってくれているんだよね。

前述で御察しの通り、大人らしい振る舞いをできる大人が近くにおらず

初めて遭遇した近しい距離の大人らしい大人の人の真似をして勉強している。

もちろん、もそのうちのひとつだなぁ。

 

なんかぐだぐだ長くなっちゃった。

テレビ台を撤去したいんだよなぁ。

机も折りたたみ式とかにしたい。邪魔だから。

と言い続けて早何ヶ月。

広島にも鎌倉にも住みたければ、ただただどっかに行きたいし

ただただ寝て置いてったヒートテックの匂いかいでたいし、何もしたくないし、でも何かはしないと不安になるし

免許は取る前に入校制限で挫折中だし、

日銭を得るのにストレスは大きいし(おかげで炭水化物過剰摂取している。糖尿にだけはなりたくない!)。

 

はあ。

広島弁を喋る恋人がほしい。