つくねん

ただの日記

投擲

 

下書きに入っていたもの。

 

わりと公開直後に

天気の子をみて

なんだかいろいろ感じ入ってしまった。

 

とくに、子どもだけで逃げて

ホテルに泊まった夜の食事のことと

その時に男の子が願う

ぼくたちから何も引かず、何も足さないでください

という思いについて。

 

自分がちょうど同じ年の頃に

親が入院してた病院の最上階で

おなじような自販機ご飯を食べていたことを思い出して、

極めて個人的な感情として

つらいなぁ、と思ったんだった。

 

そういう夜に

誰かがそばにいるのといないのとでは大きな違いがある。

 

この映画をみて

社会が存在していないと指摘したり

はたまた一人と世界で

一人を選ぶなんて身勝手すぎると憤慨していたりする人がいるけれど、

私にしてみれば、

自分にとって何か究極に大切なものと、世界その他(=社会)とをはかりにかけたら

そりゃ、世界その他なんて知ったこっちゃない。と思う。

 

私も平均的な教育を受けているから

ベンサム的な考えは理解できるのだけど、

自分の選択の話になったときに

世界を投擲する強さを持ちたいと思ってしまう方の人間である。

 

何もしてくれない社会と

自分が生きていることに何か価値があるかもと思わせてくれる存在とでは

どう考えても後者の方が

その個人にとっては大切だし、世界そのものなんじゃないの。と思う。

(もちろんこういうのは、例えば宗教なんかと結びつきがちで、本当に危険なことだとも思うけど)

社会がそう思わせてくれたことなんてないしな、というのは私の実感だし、

大人はいつも、何かしてくれるふりはするけれど、実際に何かをしてくれる人なんて9割9分いなかった(もちろんそれはある種の正しく安全な社会的仕草だと理解しているし、実際の問題として、誰かに何かをすることは本当に本当に難しいことだとわかっている)。

というのも実感したことなので、

個人的な思いと重なるところもあって

わかるな、と思ってしまう映画でした。

 

大人や社会への信頼というものは

よっぽど安心安全に生きてこられなければ身につかないのではないか、と思う。

大人や社会への信頼が欠けている映画だった、大人として、もっとそういうものへの信頼を子どもが持つような話にして欲しかった。

と言ってる人もいたけど、

そうだね、と思うと同時に、

違うよな、わかってないよな、と思う自分もいる。