つくねん

ただの日記

江藤淳展

 

今日は起きたら

神奈川近代文学館江藤淳展を見に行けたらいいな、と思っていた。

結局、だるくてこれは来週頑張ろうかな……

と思いかけていたところに

幸運はやってきた。

 

5分で起きて着替えて外に出たら雨が降っていた。

 

それでちょうど横浜方面に行くというから

どうしようかなぁと思って、

でもきっと江藤淳には興味なくはないはず、

と思って思い切って言ってみたら

一緒に行ってくれた。

(雨の中歩かせてまで付いてきてもらったのに、入場料まで払わせてしまった。)

澁澤龍彦展も誘えばよかったなぁ。

あれ、行くんだった。

 

展示は、江藤淳の思想面にフォーカスというより

概略といった感じで

江藤淳ビギナーの私でも面白かった。

 

中でも一番ずっしりきたのは

亡くなった年に書いた「幼年時代」という文章で、

断片しか展示されていなかったけれど

これはちょっときつかったなぁ。

人の人生において、欠落とその人が認識しているものの重さが

そのまんまあったように思う。

66歳の江藤淳が、

お前はひとりぼっちになってしまったけれど、

種々ちゃんとやり遂げてえらい、と労われたい。

と書いていることの切実さに、

これはちょっときついな。と思ったのだった。

きついな、というのは、こちらも心理的負担が大きいなという意味で

いい年してこんなことを書いて。という意味ではなく。

 

得られなかったものとの折り合いをつけていくことも

人生の一側面であるだろうという風に私は考えているけれど、

結局、どれだけ生きていっても得られなかったものは得られないものなんだな

ということを、あの文章は私に感じさせる。

この人、ものすごくさみしいんだな。というのが

江藤淳という人間をさほど知らない私にさえわかる文章だった。

 

彼は三島さんの死に方を、あまりいい言い方はしなかったけれども

お互いに欠落を抱えていて、生涯それを追い求めていて

そしてお互いに、誤解を恐れずにいうと、

自分の弱さを持ち続けることができなくて死んでしまった。

(そしてだいたい、私はそういう人間に強い魅力を感じてしまう。)

 

いいとかわるいとか、他人が判断できることじゃないから

ただただ、今は安らかでありますようにと思うしかない。

 

幼年時代」、読んでみたいけれど

自分の調子がいいときに読むべきだろうなぁ。

 

ところで、最寄り駅までむかえにきてくれたとき

なんだかご機嫌な感じがあって、あら。と思ったのだった。

かわいかった。