つくねん

ただの日記

不在期間

 

今日人と話してたら

下手したら娘でもおかしくない年齢ですよね、

なんて言われて

はあ……と言葉に詰まってしまった。

その沈黙を、嫌悪という意思表示のようにとられたようだけど、

嫌もなにも、

単に父親がいるという感覚がわからなくなって久しいので、

どんなもんだっけな、と考えていただけ。

 

どうやらまもなく、

父親という存在の不在期間が

私の人生の半分に達するらしい。

ついにこの時が来たかと感慨深いものがある。

特になにも起こらないだろうけど。

きっと同じような人は、

同じようにその日を意識したりするのではないかしら。

わかんないけど。

 

どうでもいいけど、

この人こんなにかっこよかったっけ?と思った。

なるほどなぁ。なんだか。

あれかなぁ。いろんなものが重なってそう見えるだけかな。

きっとそうだなぁ。じゃないと髪をわしゃっとしたいなんて思わないよな。

 

中央公論から出ていたという三島さんの日記を読む。

出してたんならもっと早く言ってほしいなぁ。中央公論

三島由紀夫おぼえがき」も中公文庫だし、

冊数は少ないけど、いい本をだしてくれてありがとうございますという感じである。

気がつかなかったのは、単に本屋に行かなかった私が悪い。

 

25歳の三島さん、

 

「日本の古い修養書は芸術論として読むべし。ワイルドの「獄中記」の如き、まるでそのまま「悪人正機」なり。」

 

と書いてある。

20年後も彼にとって、日本の古い修養書は芸術論のままだったんだろうか。果たして。