つくねん

ただの日記

疲れ

 

薄黄色のTシャツを着てたら、

え、どうしたの、珍しく明るい色

と言われた。

うちの親みたいなこというなぁと思って

居心地が悪かったんだけど、

似合うよ。と言われて

さらに居心地が悪くなった。

 

Tシャツといえば。

変なTシャツを集めるのが趣味の人、

最近は、平成おじさんTシャツを買ってて、

それ使用用途あるの・・・・・・ときいたら、

会社に着ていくというからびっくりである。

令和バージョンもあるから、ペアで着る?と言われたけど固辞した。

 

落ち込むなぁ。

頭でわかっていることと、気持ちでわかっていることとは違う

というのは、もう岡潔が言ってることだけど

ほんと、その通りだなぁと思う。

頭でわかっていて、ある時気持ちでもわかって、

より打撃が深くなる、ということもある。

それなりに深く傷を負うこともあるんだな、と思う。

 

この前、人に

たまに改札前や駅前で待ち合わせをする人々の姿に深く感動することがある

と言ったら、その感覚はわからない。と言われた。

一般的な感覚だと思っていたけど、違うのだろうか。

みんながみんな、誰かが来ることを信じていて、

待つというのは信じることで、それはもう祈りの姿だなと思う。

誰かが、ちゃんと、安全に、ここに到達することを疑わないでいる。

中には、来るか来ないかわからないまま、それでも待っている人もいるのだろうけど。

そういう人が、いっぱいいると、

なんだかもう胸がいっぱいになってしまうことがある。

疲れている時なんだろうか。わかんないけど。

こういう日常の信仰がある時損なわれたら、やっぱり人間は傷つくんだな。

最近は、こういうことにも、もう疲れているんだと思う。

疲れたなあ、と思うんだよなぁ。ほんと。

 

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高見順の墓に

彼の詩の1つが彫られていて

「祈りと知らない祈りの姿は美しい」とある。

駅前の光景だって、

おおよそ人の日常のあれこれだって、

ほとんどこれだな、と思う。