つくねん

ただの日記

言葉と肉体

 

かわいらしい文章がきて

憂鬱がぱっと割れた。

年上の男の人にかわいらしい、というのは

変かもしれないけれど

かわいらしい人だな、と思う。

 

人に、

君は変わっているから

君と合う人はほんとうにまれだと思う。

と言われた。

私が変わっているのか

そんなことは知らないけど、

自分の形に合う人なんて

人間そうそう見つけられないものなんじゃないだろうか、と思う。

一回しかプレイできないならなおのこと。

まろやかで誰とでも合う人間でいるよりは、

変な形で合うべき人と合う方がいいと思う。

 

最近、身の回りでボクシングの話をよく聞く。

ボクシングを始めた人、

ボクシングの試合をした人の話、

元プロボクサーで今はライターの人の話。

格闘技一般が好きではなくて、

殴ったり殴られたり、痛いのにな。と思っていた。

なぜそんなことをするんだろう?

と、ついさっき友人に言ったら

身体が思い通りに機能しないときに、

それまで透明であった自分の身体というメディアが

物質性を持っていることを理解するからなのでは。

と返ってきた。

 

だとすると、

有限性を確かめるために殴り合ってるの?

それってしんどくないかなぁ。

身体という軛のことは、

私は殴るとか殴られるとかとは違う方法で感じてきたけれど、

そういう苦悩の状況に至るために殴ったり殴られたりするのだろうか?

私は身体性の苦しさみたいなものを自分の精神の問題から感じてきたけれど、

リアルな身体性の苦しさを獲得することと

それとの違いってなんなんだろう。

言葉があって肉体があるのではなく

肉体があって言葉があるのか、言葉もないのか

そのあたりのことが

最近気になっている。