つくねん

ただの日記

秋は短いから

 

写真って、女々しいものなんだろうか。

 

写真を撮る習慣がないという人が、

わりと身近にちらちらといた。

言い分としては、

面倒くさい、写真を撮ったって仕方ない、思い出は頭の中に残るからそれでいい。

というようなもので。

写真は撮るけど、撮った写真を後生大事に残してるのは女々しくてやだ、という意見も。

 

写真を撮る習慣があり、

かつ過去の写真もわりと大切に思うのは

この小さなコミュニティでは私だけのようだったので、

つい、なかなか変わった人たちの集まりだなぁとぼやいたら

いやいや、あなたに言われたくないから。

と物言いが入ってしまった。

 

物語性への執着の度合いの違いとかが関係するんだろうか。

写真が正に過去と密接に関係するものであればこそ。(なにより、そもそも写真は関係性を写すものだ、ということもあるのだろうけど)

写真といえば、

前に友人から

昔の恋人の写真を全削除させられたことがある。という話をきいたな。

これも一種

物語性への執着の度合いが強いことの効果だろうなぁ、と思うけど。

君なら同じことを要求する?、ときかれたな。

色々考えたけど、要求しないだろうなぁ。

気持ちが想像できなくはない。

嫉妬することもあるだろうし、

相手を真に好きだとして、

その相手の過去への介在が不可能であるという事実がしんどいこともあるだろうし。

それのひとつの表れだよね、そういうものって。

でもだからって相手にその過去を放棄させるのは違うよなぁ、と思うし。

そうすることで余計に

過去とその物語性と介在不可能である事実が補強されるような気がしてしまうけどな。

それになにより、

多少なりとも相手の魂の領分に関わることについて、私は何も言えないし。

きっと私自身がその辺について何も言われたくない気持ちが強い人間だから、

相手にも言わないだろうと思うし、

なにより無粋と思うので言いたくない。

と答えた記憶がある。

 

先述の、

写真にあまり物語性を見出してなさそうな人たちは

こういうケースをどう思うんだろう?

ちょっと今度聞いてみよう。

 

写真ばかりじゃなく

前の恋人からもらったものを捨てさせるとか

または自ら捨てるとか

こういう過去清算の行いって

色々あるよね。

 

わりと強く

過去とその物語性から解放されたいと考えている方の人間だと思うけど

自分なり誰かなりのそのどうしようもなさにしんどくなると

蒸発したさが加速するタイプである。

なんて言ってたら、ぱっくり親指を切っちゃった。

 

そのようなしんどさの絶頂にいた時期、

夜中に友人が電話をかけてきたので、

つい、生きていくのが辛いと言って泣くという

後にも先にもそれ1回きりだろう、というような

感情のお恥ずかしい発露があったのですが

優しい友人は、三島さん市ヶ谷駐屯地乱入の寸劇(やじる自衛隊員等)をして

励ましてくれたのだった。

あのことを友人は蒸し返さないけど、覚えてるんだろうなぁ。

 

そんな友人は、今仕事で長期地方滞在中らしく

その最中の休みに、今日俺の世界は日曜日だよ!

とかって全くわけのわからない電話をよこすのですが。

 

なんの話だっけ。写真だ。

私は色んなことをちゃんと覚えておきたいなぁ、だってどのみち忘れてしまうし、死んだらどこにも何も残らないから。

こういうくだらない話をしながら飲みたい気分だ。疲れてるのかな。

 

週末天気も持つみたいだし出かけよう、

って。

やったー。

秋は短いからね、気合いを入れて散歩しなくてはね。

再来週もどこかいくんだろうか、ところで。

秋は短いからなぁ。

ほんと秋は短いのだよねぇ……

一番好きな季節なんだけど。

来月もどっか行きたいし、

小逃避行の計画でもしたらのってくれるかな。