つくねん

ただの日記

雷雨

 

いつもは連絡を取ってない友人(京都)から連絡がきた。

11月にそっちに行くから、久しぶりに会おうよ。

とのこと。

もちろん快諾。

 

それとは別に、噂をすればで

5月半ばから音信不通だった友人からも連絡が来て

この波を逃すまい!と、せっせと9月に旅行の計画を立てた。

どこかに行ける、という状態にすることが自分の精神安定のためには必要。 

 

雷雨がやってきた。

 

サド裁判 上、おもしろくて、外で読んでてもふふってなってしまう。

特に遠藤周作

 

サド自身とサディズムという概念を混同するな、と前置きしたのち

「私は、これら被告のかたたちや白井特別弁護人が加虐性性欲者であるとは絶対に思わないのです。彼等の顔をよく見て頂きたい、これがサディストの顔でありましょうか。逆にもしサドの作品を読んでその中には一種の性的快感を充たすような種しかないと考える人がいるとするならば、残念ながら私はひょっとするとその方に、そのような傾向がおありなのではないかとかすかな不安を持つのであります。」

と言い放つ。

おいおいおい、と思うけれども(彼等の顔をよく見て頂きたい、これがサディストの顔でありましょうか。とは何事だ。)

みんな検察官や司法や権力をこき下ろしていくので(後段あきらかに検察官を皮肉ってるし)、とても面白い。

勉強にもなる。

 

続いて、検察が卑猥というサドの肉体や肉欲描写について

読者の劣情をそそる技術としては稚拙と弁護?する時に

「サドのこの作品は肉体や肉欲の描写が、極端にいいますと荒唐無稽なのです。抽象的なのです。抽象的とは具体的の反対という意味です。」

という。 

この「抽象的とは具体的の反対という意味です」というのは、裁判の初めに検察官が言った言葉(具体的とは抽象的の反対の意味である)を引いているという・・・・・・。

まじかよ遠藤周作、という感じ。

あまり真面目に読んだことなかったけど、面白い人なんだなあ、この人。

 

そういえば今朝、

レディ・プレイヤー1を観た。

おもしろかった。71本目。

仮想現実が普及していくと、

身体性は失われるだろう(果てにはサイコパスのシュビラシステム)という話や

いやいや身体性からはやっぱり逃れられないのでは、という話をしたけれど

どちらかというと後者を描いた映画だった。

現実は現実にしかない、という。

私は後者論者だけど、

でも現実は現実にしかないと言われると、

そうなのかしら?と、ちょっと思うな。

これしか現実でないというのは、

とても怖いことだし。

 

9月の旅行、詳細は全然調べていないので調べないとなぁ。

しかし雷すごい。