つくねん

ただの日記

存在の一意性

 

趣味や好みが合う人を見つけるのって難しいね

と友人に言われて、ほんとそうだなぁと思った。

 

趣味や好み。

ほんと様々ですね。

趣味や好みが違ったって、それを許容できるかどうか。も違うだろうし。

それはどこで、どういうふうに決まるんだろう?

自分の交友関係を多い浮かべても、不思議だなぁと思う。

ある種の傾向性は有るんだろうけど。

ウマが合う、合わない。すべてはそこなんでしょうけど。

 

とかなんとか。

よく、存在の代替可能性とか不可能性とかについて考えるんだけど。

昨日、友人とご飯食べてて

そのご飯の食べ方とか、何を食べるかの選択とか、

話とか話の仕方とか内容とか、歩き方とか、そんないろんなものを見聞きしてて思ったんだけど。

人間ってやっぱり、各々、全人的に全く異なっている存在で

それは正に一意であるなぁ。と。

ばかばかしいくらい、当たり前のことを昨夜から感じている。

 

例えば。

なんとなく、ぼやぼや、というくくりでみると

昨夜の友人と、私の好きな人とは

似てなくもない部分があるな。

と、感じることがある。

 

でも、よく見なくても全然似てない。

びっくりするくらい似ていない。

顔や指の形や声や身長といった外形的なことはもちろんだけど、

言葉の選び方や食の好みといった内在的なものも。

あたりまえすぎるけど、そのことをハッと意識したら

なんだか、人間、その存在の一意性に、

まいったなぁ、という気持ちになってしまった。

 

私は基本的に存在の代替可能性を疑わない人間なはずなんだけど(だってどう考えても、あらゆることは私でなくてもよいのだしさ……)、

でもその一方で自分の中に、私の周囲の人たちが確かに一意であることを疑わない気持ちがあって

それってなんなんだろうか。と、そんなことをぼやぼや思っているのでした。

 

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南下してくる途中の栃木で、

苺をお土産にしようと思って買ったんだけど

車の中で全部食べちゃった。

と言われ、苺食べたかったな……と返したら

ご飯屋を出た後に近所のスーパーで買ってくれた苺。

1人1パックだ!とか言って自分の分も買ってました。