つくねん

ただの日記

今年初お花見

 

今日は7.5キロくらい歩いた。

iPhoneによると。

たしかに、ふくらはぎがだるい。

で、これから夜桜を見に行こうというお誘いをもらったけど……行く元気がない。

眠いし。やや寒いし。すでにたくさん歩いたし。

もともと体力のない私が、

朝から晩までびゅんびゅん遊んでいられるわけがないよね。

 

昨日は初めて六義園に行って

枝垂れ桜を見た。

綺麗でした。

2本目のやや小ぶりの木も綺麗だったなぁ。

今年初お花見。

 

なんて言いながら、今日の夜桜を断って帰ってきてしまった。

帰りの電車内で、別の友人から何度か着信があって

ラインで今電車なんだ(だからかけてこないで)と送ったら

いつも電車に乗ってるじゃん!と返ってきた。

そんなこともないんだけど。

で、帰ってきてからまた電話があったので出たら

昨日ハワイアンズに行って楽しかった、という話をば。

もう、昨日時点でいっぱい写真送ってきてたから・・・・・・わかるけど。

言われなくても。

ロシアに赴任してた人もきてて、

その人は物事に納得した時に「氷解しました」というんだよね〜なんて話を聞かされ、

ロシアだけにね。というのが被っちゃって悔しかったです。

で、ご飯食べるから切るねと言って切ったのがさっき。

 

今日のお昼は、

隅田川沿いの桜を見て、それからスカイツリーのあたりをふらふら散歩した。

場末感のあるところもありました。

この間とはえらい違いだ・・・・・・。

でもどの町でも、人の生活があるんだなぁということを思います。

当たり前なんだけど。

 

散歩の途中、川の近くに座っていろいろ話をしたんだけど。

これまでもずっと誰にも話したくないこと、話せないことの唯一の聞き手であったんだけど

でもそれでもいくつか、これは言いづらいなぁなんてことがあって

そのうちのひとつをぽろっと言っちゃった。

そのことそれ自体については、特に何かを思っているわけではないんですが。

 

川沿いを行く人たちを見てて

やはり似た者同士だから惹かれるのかな……と思ったんだけど。

我々は似てるのかなあ……………………。

という感じになってました。私の中で。

 

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昨晩ご飯屋さんで、
私が物語性や意味から解放されたくなる時があるって話をしたら
物語性を排除したありのままのものに人間は耐えられないよ、と言われてしまいました。
そうなのかー。

あらゆる事物に意味づけをして、

前後即因果の誤謬を引き起こしたりして

自家中毒になって苦しむのがほとほと嫌になることあるよね。

 

夜中に頭を撫でてくれたりとか

布団をかけ直してくれたりとか、

ほぼ寝てるんだけど

その感覚をぼんやり覚えてたりして、

ああいう安心感はさぁ。

他にどこかで得られるものなんでしょうか……。