つくねん

ただの日記

人間って勝手

 

小学館から出た安楽死をめぐるルポルタージュを読んでいたのですが。

家で読んでると気が滅入るので、

近所のカフェで全体の9割まで読み進めました。

オフィスビルの前にあるカフェって、

祝日は穴場なんですね。

いいことだ。

たくさんの人が本を読んでいる。

左隣は小説、右隣はビジネス書かな。

 

死というものにずっと興味があったとはいえ、

この本を読んだ理由のひとつは、最近の事件でした。

自らの意志(と、あえていうけど)で死に臨もうとする人間は、

今際に何を考え感じ思っているのか。

ということに、興味があったのです。

なんて言うと、とんでもなく無礼な人間である気がしてくるけど。 

この本の取材対象は多く西欧人で、

日本人とはものの感じ方も考え方も社会の捉え方も異なるんだというのは

強く意識しておかなきゃいけないことですが。

 

安楽死は、

身体的に耐え難い苦痛を抱える人の選択肢であると理解していたんですが、

国によってはすでに精神的に耐え難い苦痛に対しても適用されているようです。

 

雪国への道中、

安楽死についてどう思っているか、というのを尋ねられたけど

実のところ、よくわかりません。

(尋ね方が面白くて笑ってしまった。)

 

人はそれぞれ自分の人生を降りる権利があるとは思っていますし

それについて他者がとやかく言えるものでもないと思ってもいます。

でも生き死にって、多分に感情が絡むことだから

私が大切に思っている人にそうしたいと言われれば、動揺するし、

なんとかそうしなくて済むように仕向けると思います。

生きていてほしいからですね。

人間って勝手です。

それでもなお、相手がそう望むなら

私はもう何も言えなくなるんだろうなぁ。

生きていてほしいと思うのは私のエゴで、

それによって何らかの苦痛を抱える人をその苦痛の内に閉じ込め続ける権利なんて私は有さないよね。

でも……という具合になるんでしょう。

仏教的な意味での愛という言葉が思い浮かびます。

 

日本で安楽死が法制化され得るか、みたいな話もちょこっとしたけど

難しいと思う、と彼も筆者も言っていた通り、難しいんだろうなぁ。

日本においてはその意思決定に

多分に迷惑という言葉が関わってきて、

人に迷惑をかけたくないから死ぬという言葉に具体的手段を与えてしまうのは、

すごく危険だろうなぁ。

空気を読んで死んでしまう人ばかりになるかもしれません。

また、おそらく昨今の気運の中では

生産性の低い人間をそれに追いやってしまう危険性もあると思います。

 

本の中で、

安楽死という選択肢が自らの手中にあると知った患者は安心し、ただその事実だけで身体的精神的苦痛が和らぐことさえあり、安楽死を行使せず自然死に至ることも少なくない。

という、安楽死実施団体の責任者の言葉がありました。

安楽死を考え、その許可がでている精神疾患を抱えるの女性もそのようなことを取材に対して語っていました。

とても印象深かったところです。

 

で。

最終的に筆者は、日本には安楽死は必要ない、とおそらく希望を持って書いているんだけど。

それは日本が西欧諸国に比べて共同体主義であるというところに理由を据えているっぽいんですが。

(長く海外暮らしの筆者が、日本での取材を通じて自身の日本人としての感覚を再認識した、というような書き方もされていて)

その最後の部分で、なんだかなぁ、という気持ちになってしまいました。

 

疲れたのでここまで。ただの感想でした。

 

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近隣の建物。

一直線に明かりが伸びていて

下を通るたびにうおっと思います。

 

最近

私の中で迷子になっていたオリオン座がめでたく発見されました。

天頂やや南東にあるよ、と教えてくれたので。

前ってもう少し見つけやすかった気がするんだけど、気のせいかな。