つくねん

ただの日記

長いお散歩 その2

 

10分ほど休憩して、歩き出したすぐのところで見つけた。

 

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風か何かで寝ちゃってる草。

疾風に勁草を知るで、

勁草書房しか浮かばない。

 

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ざくざく歩く。

歩く、ということが目的化してくるところがあって

でもそれもいいもんだよなぁと思ったりする。

 

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水草が光ってるように見える。

 

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視界がひらけてくる。

 

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草紅葉がまだ見られました。

綺麗。

 

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男体山だー!と思ったあたりで雲が多くなってきた。

にしても、中禅寺湖を巡ってここでムカデと蛇が戦うなんて。

戦うのは好きにすればいいんだけど、ムカデと蛇って。ねえ。

 

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草、綺麗。

風が葉を響もす音がいい。

 

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鳥がいた。

 

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紅葉した葉っぱが映って川面が黄色になってた。

 

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熊笹が深い。

獣道みたいなところもあって、それはそれで楽しい。

 

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可愛いイラストだけど、ものすごく怖い。

 

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小さめの滝がザアザア流れてた。

この倒木がいい感じで、この上に座ってました。

私が適当にふらふらしてるから、

お連れがリュックの紐を引っ捕まえて落ちないように?してくれていた。

 

だいたいここまでで3時間くらい。

ここを抜けるとすぐ竜頭ノ滝。

竜頭ノ滝の見頃はもうちょっと先かな、という感じでした。

 

帰りは竜頭ノ滝のバス停から。

バスは遅れてきて、いろは坂をおりてから渋滞にはまり

2時間40分かけて日光駅に。

 

帰りは17時すぎの電車を予定していて、

間に合わないかなぁ、としたら特急券も発券していないし最悪鈍行で帰ればいいや、と思っていたのだけど

バスの中でほぼ意識を失っていた友人がハッと起きて

駅まであと3キロ、電車発車まであと30分というような時に

駅まで先に走っていって発券しとくから私はバスにそのまま乗ってくるようにと言って走ってったのでした。

日頃から運動している人の強みを見た・・・・・・。

 

友人が汗だくで走って行ったあとに、私は悠長に神橋の写真を撮っていた。

 

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走ってった友人とバスとは日光駅にほぼ同着し、無事特急に乗れ、

帰りは新橋で餃子と焼き飯を食べて途中まで一緒に電車に乗って、解散したのでした。

(浅草でなんか食べればいいかなと思ったのだけど、浅草嫌いだからと言われて新橋になった。浅草嫌いな人多くないですか?)

 

かくして日帰りの日光お散歩は終了。

ヘトヘトになって、

帰ってきたお知らせをして寝た。

秋らしいことができたので満足しました。

 

私もほんの少し写真を撮るけど、

たしかに写真を撮ることが目的化してしまう部分がある。

一緒に行った人は必ず現像するので

写真は対象そのものをありのまま写すのか?と言われるとうーむ、となってしまう。

聞くところによると、

報道写真なんかはRAW現像しない方向で、と言われてきてたりするようですね。

 

違う友人は、死ぬのが怖くて写真を撮り始めた、というけれど

その気持ちがわからなくもない。

生きていると、いまここから時間を失い続けていく。

後ろに流れて行った時間たちはどうなるのだろうか、と思うと不安になる。

なんとなく、その時々を縫い付けておきたくなる気持ちはよくわかるし、その一つの方法が写真というのもよくわかる。

なんたって、その時の光を記録する装置だもんね、カメラ。

ただその装置を通して出てきた写真は、友人いわく(あるいはバルトいわく)、写されたものと写したものとの関係性をこそ写している、らしい。

それは、かつて、あった んだよ、と言う友人の姿がありあり浮かぶ

流れて行った時間の確証って、やっぱり欲しい。

例えそれら全てが、小沢健二くんの言うように今に注がれているとしても。

 

話がぽんぽんとんで申し訳ないけど、

(というか、チラシの裏なんだった)

小沢健二くんと彼のことをずっと好きな人たちのこの頃のあれやこれを少し見ていて

一緒に年をとってくれるブイのような存在があるというのは

羨ましいなぁ、なんてちょっと思う最近です。