つくねん

思ったことや感じたことを書きとめる場として。

日常の単々とすぎさってゆく順序

 

帰りがけに、

写真美術館に行って写真展を2つ見てきた。

世界報道写真展」と「センチメンタルな旅」。

対蹠的な展示。

 

真っ青な海に、オレンジの救命胴衣をつけて浮かぶ難民の遺体

そのあまりの茫洋さ。

展示されている写真の多くが、争いを背景に含むから

反射的にこんなのは間違っているよなと思うんだけど、でもその先は真っ暗。

こんなのは間違っている、というのはおそらく正しい感覚なのだろうと思うけれど

自分で思っておいて、こんなのが指すものの正体が一体なんなのかわからない。

 

というのが世界報道写真展

 

センチメンタルな旅は、一連の写真集をすごいんだからと友人に見せてもらっていたこともあって

まったくの初見ではなかったのだけど、プロローグがよかった。

引用させてもらうと

 

「私は 日常の単々とすぎさってゆく順序になにかを感じています。」

 

という一文。

それに続く、説明のない写真の連続。

忘れまいとする強い意志を感じる。

狂ったように記録し続けること。

 

見ることのなかに、愛情というようなものも含まれるのだなぁと思う。ようになった。つい最近。

ずっと見られること、判断されること、何かを思われることが怖くて仕方なくて

人の視線というものによい印象を持っていなかったけれども

自分が見ることについて考えると

それは観察で、距離感の把握で、拒絶で、無関心ゆえの過剰な関心とか

いろいろあるのだけど

好きな人をこっそり見ているとき、なんだか不思議な気持ちでいるのを発見した。

 

今日の入場券を持っていくとオペラシティでやってる方の展示が

ちょっと安く見られるらしいので、そのうち行こうかな。

 

昨晩合流した時、ちょっとイライラしてるのかしらと思ったんだけど

元に戻ってくれてよかったです。

疲れてたのかなぁ。

アイス買いに行かせて悪いことをしました。

ピノ買ってくれた。