つくねん

思ったことや感じたことを書きとめる場として。

ずっと、について

 

人から言われたいやなことを、

呪いのように自分のあちこちに貼り付けて生きてきたのだと思う。

 

気にしまい、忘れよう、と思うたび

それは明らかにそう言われたことを意識しているし

意識する回数が多ければ多いほど、記憶に定着はしやすいだろう。

 

ずっと、という言葉についてしばしば考える。

今日も風吹きすさぶ駅のホームでぼーっと電車を待ちながら

その言葉について考えていた。

 

ずっと好きである、と言ってもらうことについて

その ずっと について

私はそれこそずっと不思議で仕方なかった。

ずっと、なんてありっこないのになぁと思っていたから。

気持ちなんて不確かなものについて、

この今の時点で永続しそうに思えたとしても、

それを ずっと という言葉にのせて自らの体の外に出すという行為は

なんて勇気があるのだろう。

勇気というより、蛮勇。

 

彼と私は、似ているのだと思っていたけど

全然違うな。

 

ずっと、という言葉の解釈ひとつとっても、きっと。

彼は私なんかよりずっとずっと大人だから、

私が考えているようなことなんかも含めた上で、

それでもおそらく、ずっとという言葉をつかっているのだろうと思う。

 

私は、ずっとなんてないと思う。

彼も、ずっとなんてないとわかってはいるけれども

そのひと時におけるずっと、は

少なくともその瞬間におけるずっとは、瞬間として永続するのだと信じている(あるいは、信じることを意志している)のだろうな。

私はずっとなんてないと思うけど、彼のことはこの先もずっと好きだろうなと思う。

気持ちというのは不思議で、

言葉の上では絶対的に矛盾することがその内においては全然矛盾していない。

 

ファウストのように

その先に何があるかも忘れて、時よ止まれ!と人生の瞬間の肯定を通じて人生そのものを最大に肯定する側の人間であれたらな、と、そんなことを思った。

その後救われるかどうかは別として。

それが自分の墓穴を掘る音に対する心からの賞賛であったとしても。

 

そしてもうひとつ。

彼は私に善き呪いをかけようとしてくれているのだろうなと思う。

それこそ初めて会った時からずっと。

 

なんて書いたけど、

結局、私は彼ではないからほんとのところは何もわからない。

特に意味なくつかってるのかもしれない。

ずっと、という言葉についてですが

なんて聞く勇気もない。

 

そもそも私は好きと言い表すこともあまりないし

現時点までずっと、と言うことはあっても

方向を宙に浮かせたずっと、をつかったのは

おそらく今までで2回くらいしかないと思う。

ずっと、という言葉について

ずっとそういうことを思っていて

でも、見境がない

ずっとという気持ちはずっと自分の内に確かに存在していた。

ずっと、というのは、一瞬と同義なのかもしれない。

ある一瞬にたちあらわれたものは

その一瞬そのものとして永続する。

あるいは、ある一瞬たちあらわれたものをずっと抱えて生きていくこともできる。

のかもしれない。

 

やはり、ずっとはよくわからない。

 

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私があらゆることに意味を求めすぎているんだろうな。