つくねん

思ったことや感じたことを書きとめる場として。

結局本当になにひとつとして

 

引越しの日が近づいてきているのに、

なんだかんだまだゆるゆるとしている。

 

川沿いのソメイヨシノはまだ見頃でもない。

誰かと、ほんのちょっと飲みに行きたい気分。

 

さよならというのは、いつまでたっても慣れない。

人でも物でも場所でも。

それではまた、と曖昧にして別れてきた。

 

さよならだけが人生ならば、人生なんていらない

と言ったのは寺山修司だったなぁ。

井伏鱒二寺山修司。この季節の決まり文句。

 

家族(家庭)というものに恵まれて育った人、まぶしすぎる。

彼がそうやって安定した家庭に庇護されていたとき

当方、死ぬだの死ねだのの罵倒やヒステリーの中、よそに助けを呼びに行ってたなんて言えるわけもなく。(君に興味があります、といわれても)

しかしなぜ、こうも隔絶した我々が出会うのかな。人生は不思議だ。

人生は不思議だけど、

結局本当になにひとつとして意味なんてないのかもなぁ。

 

5年ほど前に、『羊をめぐる冒険』を再読したらしい自分が

書き残してた感想の端切れを今日見つけた。

「鼠は偉い。彼のように自分の弱さを弱さとして守ることは私にはできないだろうし、そのまま腐らせてしまうだけなんだろうなと。」

5年前の私、なかなかに自己認識が正しい気がする。

 

そんなことは怖れない、と言えたらいいけど。