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つくねん

思ったことや感じたことを書きとめる場として。

沈黙

 

を見ました。

原作を読んでからにしようかなぁと思ったのだけど

楽をしようとしてしまった。

 

あらゆる不条理を前に、神はなぜ沈黙しているのか。

 

という、題名通りの問いかけが繰り返される。

のだけど。

 

これは、キリスト教やら信仰やらに疎い私は小説から入った方が正解だったのだろうな。

3時間近い映画で、飽きさせないというのはもうそれだけで優れた映画なのだと思う。

 

この映画で気になったことは、告悔というシステムで

これを見て「グラン・トリノ」を思い出した。

イーストウッド(作中での名前は忘れた)は、最後の最後に懺悔室にはいるけれども

結局、重要なことはそこでは語らなかったなぁとか。

 

人は話をきいてもらうだけで、ずいぶん楽になる。

肯定も否定もせず、口を挟まず、ただ聞くというのはとても難しい。

いや、話を聞いてもらったとしたって

それで果たしてゆるされるのだろうか。と思ってしまった。

前に引用した、ボーヴォワールサルトルの会話が想起される。

 

それで”本当に”ゆるされるなら、私にも懺悔室に駆け込みたいことの1つや2つはあるけれど。

そこで言われる、ゆるし、という言葉の意味を、理解できていないのが私の問題なのだろうな。

 

あと、天国に関する説明が、ネロとパトラッシュが死んだあとに入るナレーションにそっくりだった。。。

 

気が向いたら原作を読みます。

遠藤周作は『深い河』しか読んだことがないけど、少なからず感動した覚えがある。

小説を読むと、また違って感じられるのかもしれない。

 

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初めて見た、氷柱。

 

たまに、カラオケで「いつくしみ深き」を歌うのを聞いているのだけど

あれが脳内に流れてきた。

 

さっさと踏んでしまえばいいのに(それすらゆるさない神なんて神といえるのだろうか)とずっと思っていた。

 

同じ苦しむのであれば、

さっさと踏んで、その罪は告悔せず内に抱えているのが良いのでは、と思った。

そういう意味で、キチジローの行為の半分は納得ができたけど、

あとの半分は納得できなかった。

ただ、彼が体現する人間の弱さ、卑小さは、自分にも十二分に当てはまることだから

身につまされる。

 

信仰の形式は容れ物で、その中身は目に見えないのだから。と簡単に思うのだけど、

そういうもんじゃないのだろう。

現に、レビューサイトにあるキリスト教徒や他の信仰を持つ人の感想を見て、ふーむと思っている。(なんかすごいやつもあったけど。。。)

 

世の友に捨て去られたら労ってもらえるというのが、強烈だなぁといつも思う。

 

土曜、東京駅に行く前に本屋に寄ったのだけど

その時、遠藤周作の『沈黙』を買おうか迷った。

迷って、沈黙つながりで村上春樹の「沈黙」が入った短編集にした。

お風呂の中で読んでたけど、辛い話で、うーんという感じでぶくぶくしていた。