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つくねん

思ったことや感じたことを書きとめる場として。

その日と、その次の日

 

月が白い、という友人からの報せに

本当に白いのかしらとベランダに出て、ほぼ真上にある月を見ていた。

なんだ白くないじゃん、と思いながら。

満月ではないけど、私は目が悪いから、ぼやけた月はほとんど満月みたいなもので。

外はそれほど寒くもなくて、月を見るのに適した夜だなぁ。

 

今日、ぼーっとカレンダーを見ていたらもうすぐ命日で

しかも今年は曜日もしっかり同じだという発見があった。

それで、いろいろと思い返していた。

お寺の電気ストーブのこととか、そういう瑣末なことだけを嫌に覚えている。

というのも、

900Wと1200Wという二段切り替えのそのストーブの前で、どうでもいいことをしっかり記憶しようと強く思ったのが当時の自分だからで。

 

そんなことはまあよくて。

 

その日から6年後に、曜日の並びが同じ年がやってきた。

その日から6年後のその日の、その次の日に、私はある人に初めて会うんだよなぁ。

今なお、色々なものを与えてくれる人に。

過去は解釈であるというのは理解している(日々難渋している)し、

そこに何がしかの意味づけをしたいという気持ちも私の中にあるのだけど、

でもそれをこの出会いに対して行うのが正しいのか、わからない。

 

私の好きなポルトガルの陰鬱な詩人が、

自分の人生について

生まれた日と死んだ日だけが他人向けにある。

その間にある日々や出来事の一切は、私のものである

というようなことを書いていて、これがとても好きだ。

たまに人の墓碑銘を調べるのが好きで、どういう人でどういう生き方をし、どう死んだかという説明調の長いものなんかも結構好きなんだけど(素晴らしい墓碑銘があるもので、そういうのを見ると墓を持つというのもなかなか楽しいかもしれないと思う。持ちたくないけど。)、でもその一方で、この詩人が書いていることに心うたれる。

私もそういう風に、自分の生年月日と没年月日の間の一切の日々を、自分だけのものとしたい。

 

そういえば今日、人からこういう話をされた。

最近、人の強さについて考えていた。

強い人間ってどういう共通項があるのだろうと考えていて、

何かを信じていることだという答えに行き着いた。

自分でも宗教でも何でもいいのだけど、信じることのできる人間、拠り所のある人間って強いと思う。

 

ふうむ、と思って聞いていた。

前出の詩人が言う

それらの日々は私のものである

という事実に依拠して生きていけたら

いいのかもしれない。

 

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南天の実。

わりと有名な短歌があるけど、

ただそれがあった、ということしか歌っていなくて、たぶんそういうことなのだと思う。

 

ところで、イデアという単語がきているんでしょうか。イデア