つくねん

思ったことや感じたことを書きとめる場として。

みんな、生きてりゃ色々思うもの。

映画、「永い言い訳」を見た。

 

始終、静かな映画だった。

いわゆる「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」を持つこじらせた人間を中心に、

その周りを描いている映画だった。

私を含めてそういう人は多くいるのだろうし、そういう人たちがカタルシスを求めてみているのかもしれない。

私もそういうつもりで見に行ったのだけど、主人公と関わりを持つ小学6年生の男の子の方に気が入ってしまった。

 

物語終盤、主人公が彼に「みんな、生きてりゃ色々思うもの」と言うシーンがある。

どちらかと言うと、観客が感動するのはそれに続く言葉の方だと思うけれど

こう言ってくれる存在の大きさについて思うところがあった。

 

生きていれば、喜びも悲しみも、憎しみも妬みも後悔も、こもごも、湧き上がってくるのは当たり前のことだけど、

それを、「そういうものだ」と得心するのはとても難しいことだ。

それが人の生き死にに関わっていたりして、

取り返すことのできないものであればあるほど。

60歳に比して、12歳のそれが軽いだなんて、一体誰が言えるだろう。

 

12歳の彼に、「みんな、生きてりゃ色々思うもの」と言ってくれる大人がいてくれてよかったなと、フィクションではあるけれど心からそう思った。

そしてそれを言う大人が、主人公であることに、悲しみを感じざるをえなかったのも事実で。

すっかり大人として扱われる主人公に、そう言ってくれる人はいたのだろうか。

自分が言われたかった(そして、得られなかった)言葉とあたたかさを、人に与えるというのは

とても、とても、とても、難しいと思う。

本当に、とても。

 

空白を空白のまま抱えて生きることと、

そうでいながら誰かの空白を埋めようとすることは両立するのだな。

きっついなぁ。

 

物語中盤、作家の主人公が「自分が書くものほどピュアでもセンチメンタルでもいられない。現実を生きるってそういうことだ」というシーンがある。

こんなことを言ってしまうくらい、誰より現実をピュアにセンチメンタルに生きていたい人なのだろう。

 

私だって、ピュアにセンチメンタルに生きていたいけど

住民票や印鑑証明や保険証の裏表コピーをとっていると、あー現実に生きてるな、なんて実感して、やれやれという気になってしまう。

でもきっと、そういう現実の中でも、そうやって傷つきやすくいることも選択できるのだよね。

 

先日、年上の友人が「大人になるってのは、負け方を覚えることだよ」と私に言った。

ふうむ、そういうものなのか。と思った。

負け方にも色々あるのだと思うけど、その辺はまだちょっとわからない。

この映画も、ひとつの負け方を描いているのだろうか。

転んだ時の、受身の取り方を描いているのだろうか。

色々考えたけれど、一番自分でしっくりくるのは、

できてしまったかさぶたを何度も剥がして、いずれかさぶたは消えてしまって、

でもその傷跡が肌に染み付いてしまうような、そんな傷の最後というイメージ。

 

自分のような人間が別にいると思うとぞっとする(この気持ちがとてもよくわかる)という彼が

いつかその染みを、懐かしく思う日がくることを願う。

 

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ある冬の日の、故郷の海。