つくねん

ただの日記

きつねそば

 

冷やしきつねそば、

という単語をみて

それはなんだろう、と思った。

きつねそばとは。

ワンテンポ遅れて、

あげの乗った冷やそばなのがわかったけれど、

たぬきうどんというのもあるよね。

あれもなんだろう、と思っていた。

なんのことはない、天かすうどん。

 

BBCで宇宙の神秘をめぐる番組をみてる人がいる一方、

こちらは野島伸司の脚本で演じる唐沢寿明を見ていた。

出てくる人みんな狂ってるなぁと思いながら。

でも人間はやはり誰だって狂気はあるはずで、

そういうのを表現されるのは嫌いじゃないし、

こういう映画は今後もう新たには見られまい。という感じで、わりに楽しく見ていた。

そして締めの森田童子

満足したから寝ようかな。

幸運な出会いとか

 

飲み会の帰り。

今日はエスニック料理?だったのだけど

エスニック料理があまり得意でない私も

好きそうな人たちも

なかなか苦戦していた。

 

お店が入るビルの前で

知ってる人とすれ違い、

お店のあるフロアで

別の知人とばったり出くわした。

なかなかすごいことだなぁ。

帰路、幸運な出会いとかあるのかしら。

 

ヤフーニュースを開いたら

昨日の事件について

友人が書いた記事と、

撮った写真が目に入った。

不謹慎とわかっていつつあえて書くのだけど、

私は、今回このようなことが

まさに彼らや

そのほか、

私の大切な人たちに降りかからなかったことに

実のところほっとしている。

いつだって何かがあるたび、

私の周りの人じゃないことを強く願っている。

昨日も同じことを考えていて、

自分をとてもエゴイスティックな存在だなと感じた。

 

お亡くなりになられた方

それぞれに人間関係があり思い出があり、

悩みや希望があっただろうことを思うと

何も言葉が出てこない。

 

さて、話を変えて

好みの雰囲気の人を見つけると

友人にその旨を報告してしまうんだけど

いつもうーん、とか

よくわからん、とか言われる。

今日も言われました。

 

 

情熱とか無気力とか

 

最寄り駅前や

最寄りスーパー前で

ポケモンGOに興じる人たちの群れを目にするたびに

なんかすごいなぁ。と思う。

飽き性だし、面倒くさがりやだし、

親からゲームや漫画・アニメを禁止されていたのも多少影響していると思われて、

こういうゲームの

面白さをよくわからないでいる。

 

携帯2台もちの人も珍しくなく、

しきりに画面をスワイプして、おそらくポケモンゲットに精を出しているものと思われる。

よく飽きないなぁ、と思うとともに

彼らもいつまでもポケモンをゲットしているわけでもないだろうから、

そうした時に、

今のこのポケモンゲットに向けられている情熱はどこにいってしまうのだろう、

と考えてしまう。

新たな他のゲームかな?

 

ここまで情熱を傾ける対象は私にはないように思われて、

その熱量と、人の多さに毎度感心する。

不思議、ほんと。

みんなポケモンをゲットしている横を、手ぶらでだるそうに通るだけの人間。

 

同じように育ったはずの上の兄弟は、

一時期、モンストばかりやっていて

歩きながらモンスト、ご飯を食べながらモンスト、寝ても覚めてもモンスト、

何かと言うと会社の人と(モンスト上での)約束があるとそればかりやっていたので

年に2、3日しか会わない私もうんざりして

(そして何より、何も注意しない周りにもうんざりして)、

携帯が壊れればいいのにな。と思ったりしていた。

それは情熱というより、時間つぶしのようにも思えるし、

ただそれをしていれば、何をやるかを考えなくていいという楽さのようにも思えた。

 

ただ何もない時間を過ごすことが堪え難いのかもしれない。

そうすると、私はただ何もない時間を

天井や壁や、時に海や空や風景や人をただ眺めて過ごしている訳で、

上の兄弟にとって私の過ごし方は最悪なのではないか。とふと思った。

まあ逆も然りで、

よくわからない、すぐ飽きそうな、モンストを延々やらされることになったら

私も堪えられないと思うんだけど。

 

ポケモンを頑張る人も、もしかしたら情熱ゆえじゃなくて無気力ゆえなのかもしれず

無気力も極めれば情熱の形をとるのかもしれない。なんて

よくわかんないことを思っていたのでした。

 

 

なんだか少し頭が痛い。

風邪気味なのかな。

明後日飲み会なの忘れてた。

 

熊本の次の旅計画を考えはじめました。

眠気

 

昨日、人に肉を焼かせながら

猛烈な眠気に襲われていた。

ものすごく眠かった。

それで今朝も、

起きてはいるんだけど

どうにも頭の核みたいなところは

眠っている感覚があった。

だいたいいつも眠いと思っているけれど、

あれは結構な強さの眠気だったなぁ。

こんなに寝てるのに成長のきざしもないや。

 

再来週は九州旅行。

熊本に行く。

初熊本なので楽しみにしている。

梅雨があけてたらいいなぁ。

神風連関連も行きたいけど、

友達は完全に興味ない。

別行動で行くのも確かに手だけど。

 

数年前に大分に行った時、

阿蘇と隣接している九重近辺に行ったけど

とても素敵な風景だった。

恒例の二泊三日である。

熊本までの飛行機もわりと時間がかかる。

飛行機はやはり何度乗っても怖いんだよね。

草履

 

今日はとてもむしむしする。

駅の階段を上っていたら、

目の前にお坊さんの草履が転がり落ちてきて、

くだらないことだけれど

私がこの草履を頭の上にのせてそのまま歩き去るというイメージが浮かんだ。

先日から、幸せって何だろうな。とぼんやり考えているところへの

無為の一撃のような出来事に思えた。

もちろん、草履はお返ししたけれど。

幸せ

 

今週はやたらと疲れやすい。

帰ってはやく寝よう。

 

今日隣にいた男女の話をきいていて、

いろいろと思っていた。

7歳差は厳しい、とか言ってて、

一般的な感覚はそんなものなのかしら?

と考えたりした。

33歳らしい女の人が、

40歳の男性と付き合う(というのかなんというのか)ことが

厳しいことなのかはちょっとよくわからない。

35歳らしい男性が

28歳の女性と付き合うことは厳しい……のか?

 

この2人の関係性や距離感や、

言葉の感じを見聞きしていて

ちょっと面白かったな。

そして、幸せっていうのはなんだろうな。

と考えたりした。

33歳の女の人が35歳の男の人と

親密になることは幸せに近づく何かなのだろうか?

(多分、おそらく、そうなんだろう、と思う)

豪勢だったらしい人の結婚式は、

幸せの一部分なのだろうか。

あの居酒屋で働く、

よく気が効く男性にとって

幸せってなんなんだろうか。

幸せ幸せとみんなよくいうけれど。

心のあり方のようにも思えるし、

その考え方も理解はするけれど

実のところあんまりよくわからない。

 

幸せになりたい、と私が言う時思う時

それはどう言う状態をいってるんだろう。

なんの不安もない状態かなぁ、と考える。

でもそうすると、

私みたいな万年何かと不安がりたい性質の人間には

つまり幸せは訪れないということになる。

あーあ、幸せになりたかったな。

とアホみたいなことを言いつつ、

宇多田ヒカルの幸せになろうという曲を思い出した。

江藤淳展

 

今日は起きたら

神奈川近代文学館江藤淳展を見に行けたらいいな、と思っていた。

結局、だるくてこれは来週頑張ろうかな……

と思いかけていたところに

幸運はやってきた。

 

5分で起きて着替えて外に出たら雨が降っていた。

 

それでちょうど横浜方面に行くというから

どうしようかなぁと思って、

でもきっと江藤淳には興味なくはないはず、

と思って思い切って言ってみたら

一緒に行ってくれた。

(雨の中歩かせてまで付いてきてもらったのに、入場料まで払わせてしまった。)

澁澤龍彦展も誘えばよかったなぁ。

あれ、行くんだった。

 

展示は、江藤淳の思想面にフォーカスというより

概略といった感じで

江藤淳ビギナーの私でも面白かった。

 

中でも一番ずっしりきたのは

亡くなった年に書いた「幼年時代」という文章で、

断片しか展示されていなかったけれど

これはちょっときつかったなぁ。

人の人生において、欠落とその人が認識しているものの重さが

そのまんまあったように思う。

66歳の江藤淳が、

お前はひとりぼっちになってしまったけれど、

種々ちゃんとやり遂げてえらい、と労われたい。

と書いていることの切実さに、

これはちょっときついな。と思ったのだった。

きついな、というのは、こちらも心理的負担が大きいなという意味で

いい年してこんなことを書いて。という意味ではなく。

 

得られなかったものとの折り合いをつけていくことも

人生の一側面であるだろうという風に私は考えているけれど、

結局、どれだけ生きていっても得られなかったものは得られないものなんだな

ということを、あの文章は私に感じさせる。

この人、ものすごくさみしいんだな。というのが

江藤淳という人間をさほど知らない私にさえわかる文章だった。

 

彼は三島さんの死に方を、あまりいい言い方はしなかったけれども

お互いに欠落を抱えていて、生涯それを追い求めていて

そしてお互いに、誤解を恐れずにいうと、

自分の弱さを持ち続けることができなくて死んでしまった。

(そしてだいたい、私はそういう人間に強い魅力を感じてしまう。)

 

いいとかわるいとか、他人が判断できることじゃないから

ただただ、今は安らかでありますようにと思うしかない。

 

幼年時代」、読んでみたいけれど

自分の調子がいいときに読むべきだろうなぁ。

 

ところで、最寄り駅までむかえにきてくれたとき

なんだかご機嫌な感じがあって、あら。と思ったのだった。

かわいかった。