つくねん

思ったことや感じたことを書きとめる場として。

もうどこかへ行ってしまった人たち

 

思い立って山崎方代の本を買ったんですが

句集を買うつもりが、伝記を買ってしまった。

んだけど、わりとおもしろくて。

 

こういう読み物、はまるといいですよね。

全然趣も事の重大性も違うけど、

梅川昭美のルポなんかも興味深く読んだし(幻冬社アウトロー文庫から出てるやつ)、

あとはおなじみの山崎晃嗣。(本人のも保阪正康のも)面白い。

(山崎本人が、まさにこれから騙そうとする相手を、真実味のある人だなんて評していて、すごく感動した。そう思いながら、人は人を騙すのだということ、その人間らしさ。)

誤解を恐れずにいれば、人間ひとりはこれほどおもしろいんだ。と思う。

最近、河出から出た『ヨコハマメリー』も

ちょっと前に立ち読みしたら面白そうだったなぁ。

 

この人たちの話を見聞きしていると、

人はどこから来てどこへ行くんだろうなぁ、ということを思う。

彼・彼女らの人生がそれを示してくれるわけではもちろんなくて。

彼・彼女らはみんなもうどこかへ行ってしまった人たちでしかなく。

ただ、その濃い人生の一端に触れると、

みんなどこから来てどこへ行くんだろうという気持ちだけが残る。気がする。

 

 

寒い

 

寒い。

前の家の近くには野良猫が住み着いていて

寒い夜、寂しさを持て余してるときに

よく触らせてもらっていた。

高齢で喧嘩にもよく負けてるようで、

だけど静かによく触らせてくれる猫だった。

あたたかさ。

君は生きてるんだね、

とかなんとかいいながら触ってた。

あの野良猫、元気だといいけどな。

 

もらったシャツをたまに

広げてみるんだけど。

大きいんだなぁ、男の人って。

肩幅も胴回りも。

私より細い気がするんだけど。

におい、ずいぶんなくなってしまった。

すこし、というか、わりとかなしい。

 

忘年会シーズンらしくて

(だけど、ほんとに年末にさしかかると忘年会は少なくなるらしい)、

お酒をたくさん飲んでるんだろうか。

楽しいお酒ならいいけど。

わかんないけど、健康的な忘年会が望ましいなぁ。

私も今週末そうだ。

でもあまり飲まないと決めてるんだ。

 

ほどほどの孤独感

 

ぼんやりしながら

そういえば、なんだかひとりになりたくって◯◯まで

ふらっと出かけようかなぁと思っていた。

ということを、話したら、

女がひとりでそんなところに行ったら、死ににきたのかと思われるよ。と言われた。

そんなものかなぁ。

別にいいじゃん、ねぇ。

ひとりになりたいって、そんなところに出かけた日には

孤独に耐えかねて◯◯さん、って電話してくるのがオチでしょ。と笑われたけど

そんなことはしないと思う。

自分から誰かに電話すること、ほぼないもの。

というか。ただでさえ寂しいんだから、

ちゃんとその寂しさが透徹する場所に行って、

ああ寂しくて当たり前なんだと安心したいんじゃないか。と、思う。

時々どうしても私が欲しくなるもの。その安心感。

いなくなりたさを補強しにいくためじゃなくて。

 

私の調べたプランを披露したら、へえいいじゃん。と思いの外食い付きがよかった。

さすがに一緒の部屋は無理だからひとり一室とれば、寂しくもないし、

死ににきたのかよとも思われないだろうし、

ほどほどの孤独感で、それもまたいいかもね。

という話をしました。

このプラン、いつか実行したいんだけどなぁ。

ひとりでもだれかとでも。どっちでもいいんですが。

 

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入浴とアルコールは低血圧がやると

死ぬからやめなさい、とのことです。

冬の入り口

 

今日もとてもよい天気だった。

ので、ちょっと気になっていた場所へ散歩に。

 

間違って新百合ケ丘で降りてしまったのだけど、

(ここで食べたお昼ご飯がとてもとても美味しくなくてびっくりした)

目的地はその2つ向こうの駅にある旧白洲次郎邸。

駅からほどほどに離れていて、とてもよい場所だった。

 

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武相荘

この季節、そこかしこに南天が生けられていた。

入館料が必要になるところの中は残念ながら撮影できないのだけど、

よかったです。

いろんなものがあった。

吉田茂から贈られたステッキだとか、

遺言(葬式無用、戒名不要、だけ)書、

愛用のカルティエのボールペン、などなど。

着物も素敵だったなぁ。

書斎にある本も見てきたけど、

小林秀雄折口信夫南方熊楠、あたりが気になった。

私の地元にもちょっと興味を持っていたようで、それ関連の本も見つけられた。

鏡花、保田与重郎もあったなぁ。

奥まった部分は立ち入り禁止で、そこに積まれてた本は見られなかった。

本棚の棚板が歪んでいて、本は古びていて

そこに堆積した時間というものの密度が感じられるよいスペースだった。

 

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外観。

 

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茅葺の屋根。

 

無料で立ち入れるところも、素敵だった。

とくに庭。

冬の入り口。

 

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風が強く、力を失った葉が次から次へと落ちてきて

それがとてもとても綺麗で、ずっと上を見ていた。

 

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ガラスの模様が綺麗。

 

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中には喫茶スペースもあって、ここが静かでよかった。

 

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一緒に行った人がここをとても気に入ったようなので、

ささやかな忘年会か新年会をここでやろう、という話に。

夜は夜で、静かでよいに違いない。

人もこなさそうだしね。たのしみ。

 

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自転車や、車、昔のかき氷機が納屋下にあった。

 

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お茶もしてたので、わりと長居した。

静かで、よい場所だった。

(メジャーな駅でもないし、駅からも歩くし、そもそもここに来ようと意図しないと来られない場所だからだと思うけど。)

 

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入り口にあった大きな柿の木。

落ちてくる柿の実に注意、という札がかけられていたけれど

もう全部落ちちゃってたみたい。

 

武相荘を後にして、お別れの駅のガード下にある居酒屋でさっとご飯を食べ(ああいう常連しか来ないお店、たまに行くと楽しい。常連さんたちの空気と、相容れないストレンジャーの我々と。)

帰ってきた。

 

お散歩日和のよい1日だった。

ひとり

 

ここ最近、ずっと考えていた。

ひとりでいるってどういうことなんだろうか。

よくわからなかったけど。

 

私みたいな、コミュニケーション能力が低くて、

かつあまりそういうものに積極的じゃない人間でさえ

誰か(とても奇特な存在)とは繋がっていて、助けられているわけです。

純然たるひとりになれることなんて、この社会で生きる限りはないんじゃないか

と、ありきたりなことを思いつつも、

でもやっぱり、どう考えたって人間はひとりなんだとも思うんだよなぁ。

これもありきたりな考えだけど。

どうしたって、私は私でしかなくて、この輪郭の外には1mmも出られなくて。

(どうでもよいけど、権力者たちが太った人物として描かれるのって、

 世界に占める存在の割合を示してるんでしょうか??)

 

なんだか、すっぽり、穴ぼこに落ちたような変な精神状態になっていました。

ここ数日。

鬱でもなく、躁でもなく。いや、鬱であり、躁であり。

ちゃんと生きてるのかなぁ。

存在しているだけ、存在しているというのは認知されて初めて成り立つのかなぁ。

あれもこれも、くだらないなぁ。

みたいな、ところを、ぐるぐるしていました。

 

きっと世の正常な成長をしてきた人たちは、こんな穴ぼこにはまって

身動きが取れなくなることなんて、ないんだろうと思います。

なんだって、そういう人たちにはやらなければならないことがたくさんあるから。

私にはそういうことはなくて、つまり暇で、

小さい頃からの延長で、ずっと宇宙の成り立ちとか宇宙の端っことか、

自分の存在とか、犬が歩くとき前足と後ろ足どうなってるのかとか、

あ、猫!触らせてくれたあったかい君は生きてるね、すごい。とか、

そういうどうでもいいこと(価値のないこと)についてばかり考えていて、

おかげさまでうまく生きられていない。

ちょっとそこまで、と歩くあいだに

色んなものにぶつかったり、側溝に落ちかけたり、轢かれそうになったりしてる。

 

そういうのを見かねて(たぶん)、あっちには穴があるよとか、

そっちには行かなくてもいいよとか

ある程度の遊びをさせながら、それに付き合って、振れすぎないように微調整してくれている人。

その人もいつまでもいてくれるわけじゃないぞ、

ひとりでも生きていけるようにならないといけないんだ!!(一種の躁状態、ほぼ死に体)と思って

穴にすっぽりはまり(というか落ちた)、空白の数日間を過ごしたのでしたが。

全然ダメでした。

ある種の過緊張にいた数日の後に会ったら、安心しきってぐーぐー寝た。

 

その次の気乗りしない予定でワインを飲みすぎ+低血圧を引き起こして

素早く退散をしてきて今に至ります。

(家に帰ってきたらすぐ体調がよくなった・・・)

 

結局ひとりってなんだろうかわからないままで、

結局、もうどう考えても私の湯たんぽで

(本人はそれを保護者的立場と言っていた。

 思うに、私の人生で初めて精神的保護を与えてくれた人だと思います。

 噛みつくかもしれないのによく手を差し出してくれたものです。神様かな。)、

結局、気乗りしない予定には行くべきではありませんでした。

 

絶望的に頭が悪いので、同じようなことを繰り返して

もうダメだ〜となる(痛い目を見る)のだけど、ちょっとずつ良くなってるんでしょうか?頭。

 

話は飛びますが、ここ最近もうひとつ考えていたことが

他者の何かしらの感情を想起させる起点に、自分がなり得るんだ〜、ということについて。で、

これは、まあいろいろあるんだけど、これはすごいことです。

私は私にとって主体でしかないけど、

客体としての私がそこにあるらしいのです。

びっくりです。

 

ねむたい。

 

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ねこさん。

美しさ

 

冬の朝の白い光。

と、それに霞む街。

悔しいけど美しいなぁ、と思いました。

今朝。

 

よくわからないしんどさがずっとあって、

でもそんな私にも

たまに世界があまりに美しく見えるときがあるから、

それが悔しいということなのかもしれないけど、

よくわかんないですね。

 

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こないだの朝の散歩中。

足の遅い私が後ろを歩くことが多いので

必然的に背中をよく見ることになるんだけど

その背中に木の影が落ちてて

素敵だなと思ってこっそり撮りました。

内緒ですが。

ふわふわゆらゆらだらだらごろごろふらふら、

行きつ戻りつしてる私をゆるく世界と繋いでくれてる。

死ぬまで治らない

 

どこか行きたい病、治らないなぁ。

というか死ぬまで治らないのではないか。バカと一緒で。

 

今日、庭で取れたのでとキウイフルーツをいただいたんだけど

キウイって庭で取れるものなんだっけ?

と、びっくりした。

あとは、お相伴にあずかりまして。

で、胃が重くなって帰ってきたら年明けの話。

父の13回忌で、年末年始とは別に大阪にいかなければ。ふう。

一回で済ませるという話だったんだけど、そうもいかなくなってしまった。

大阪まで飛行機で行こうかと思ったけど

関空からのことを考えると新幹線で行ったほうがいいかな。

 

実家に帰る、久しぶりに実家の様子でも見てみるかという気になんてならない。

繰り返されてきたことがまた繰り返されようとしてる。いい加減擦り切れて欲しい。

 

それで。なんだっけ。

最近思ったこと。

男性の中で丹念に醸成された女らしさ、という謎のもの。

方言の時と、標準語の時で性格が違う気がする。という話を友達とした。

読んでた本。

性欲と性交欲との違い。

これは前に友達とも長く話したことがあったけど、

男性のいう性欲(とりあえず誰でもいいから、というような対象を特定しない謎の、

さも純粋に性欲そのものとして立ち上がってきているかのように語られるもの)

についてうまく想像できない。

そんなもの、あるの?それは性欲じゃなく、性交欲?

いろんな人がいろんなことを言ってるから、わかんなくなっちゃうなぁ。

そもそも自分が基本的にあまりそういうことが好きじゃないから?

最近読んでた漫画。

好きでもない人とのキスの気持ち悪さ。これはよくわかる。

過食嘔吐。これはどれだけの子が通る道なんだろう。通った。

人とのふれあいは基本的に気持ち悪いものではないのかな。中村雅俊

動物になるべき時に動物になれない人間は不潔です。ということ?

 

つらつらつら。

そういえば『性食考』と『小沢健二の帰還』の編集者は同じなんだと知った。

へえ。

みんな、小沢健二くん(の歌)に救われたりしてて

それは一体どういうことなんだろうか、というの、やっぱりすごく気になる。

ぼんやりツイッター見てたら、

小沢健二やらなんやらは若いやつに媚びてないで云々、みたいなのがあったけど

小沢健二くんについて知らない私でも、その言説は誤りだと思う。

だいたい、その人がたまたまそういう人間じゃなかったというだけで

年齢性別によらず、いつだって、そういう人間が存在してしまうというだけの話で

人の心・精神(あるいはそれらの問題)の形の話なんだと理解している。

媚びとかじゃなくてさ。

死ぬまで治らないやつだよ、これもきっと。