つくねん

ただの日記

ボタンがひとつ

 

凝り性の傾向と

面倒くさがりやの傾向とが合わさって

単一のものばかりを食べたり聞いたりしたりしても苦痛でないことが多い

という話をしたら、

看護師さんに、そういう人は認知症になりやすいんですよ。論文も出ていますよ。

と言われた。

 

ボタンがひとつしかないんですよね。

と言われて、

なんだかただひとつのボタンを延々押し続けてる自分がありありとイメージできたのだった。

それしかないのかそれしか知らないのかしらないけど。

 

じゃあ気をつけます、なんていいつつ

だいたい私がそこに割く思考のリソースがないのは

くだらない抽象的な悩みばかりに割いているからで

もっと現実かつ具体的な人生について考えたほうがいいんだろうね。

いくつかある人生のボタンを押したら、真下の地面が割れることを想像する。

死刑囚にして死刑執行人って、誰が言ってたんだっけ。

ボードレール

やや苛立っている自分

 

人と話していて

あの男の人ってもしかして

男性に気があるのかもみたいな話がはじまり、

えーやだ。なんてことを人が言った。

 

えーやだ。も何も。

誰が誰を好きだろうと好きでなかろうと、

誰ではなくてそれが物であろうとなかろうと

それがどうしたんだ、我々が容喙していいことじゃないぞ。と思う。

 

私が言えたことといえば

誰かを好きでいるのはそれだけで素敵なことだと思いますけどね。

ということだけで、

一笑に付されてしまったけれども。

 

誰かや何かを好きでも

好きじゃなくてもいいじゃない。

と、強く思う。

彼や彼女にとって我々はお呼びじゃないんだから。

そう思う時に、やや苛立っている自分がいるんだよなぁ。

 

流れる川

 

帰りの車窓から山あいに点在する家々を見ながら、

人はどこででも生活できる逞しさがあるのだなということに

えらく感じ入っていた。

元々田舎の人間なので、

延々続く山道に給水ポイントのように現れる郵便局を見るとほっとする。

郵便局はすごい、と小さい頃から思っていた。

郵便局があればそこに生活があるのだと思っていたし、

それはあながち間違いではないのだろうけれど、

もう山あいの家々に届く郵便物も随分少なくなってしまったのではないだろうか。

と、たまに廃郵便局を見ては思う。

 

こうやって、どこかへ向かっている状態とどこかから帰っている状態の時

一番気持ちが安定しているような気がする。

移動していることで、あたかも何かをやっている気分になれるからなのかもしれない。

 

街に流れる川、集落のそばを流れる川。

川というのはいいものだな、と思う。

実家も川のそばにあって、

よくひとりで河原まで散歩に行き、ぼんやりしていた。

お盆の時の河原は賑やかになるし、花火大会もそこで見た。

その川は地元の歴史を語る上でとても大切な川で、

そればかりじゃなく、子供の頃からよく遊んでいて

地元の人々は多かれ少なかれ、その川に親愛の情みたいなものを抱いていると思う。

そんなことを思いながら、片や、

こういう田舎の景色は私が捨ててきたものだなぁと思うとともに

郷里の作家について、あの人は最後まであの地元を捨てなかったんだなぁということを考えたりした。

 

京都の鴨川も素敵で好きだけれど、

高山の街中を流れる、ちょっと景色が鴨川に似た宮川も素敵な川だな、と思った。

川というのはいいなぁ。

 

川の周りでずっと人は暮らしてきて、

村を作り町を作り国を作り、文明ができて。

そして川に還っていく。

遺体や遺灰や、盆船も。

 

 

車窓から野良猫や犬を見つけると嬉しくなる。

元気でいてほしい。

人の生活も、そうやって見るととても美しく見える。

肉薄しすぎない人間の生活たち。

こちらを見送っている人、農作業をする人、犬の散歩をする人、

グラウンドで遊ぶ小学生たち。

そういう人間たちであればこれまでもずっと好きだったけれど

近すぎるとダメみたい。

他人の生活を消費するんじゃない、みんなに名前があり、背景があり、生活があるんだ。と、怒られたりするんだろうか。

そういうことはわかっているし、そういうことを時々考えもするけれど

気がおかしくなりそうになるので許してほしい。

 

昨夜の出来事について考えていた。

あの時、あの二人の世界にはあの二人だけしか存在していなかったはずだけど。

周りの数百人の観光客はすっかり消え失せて、

雪と合掌造りと、自分と相手が世界の全てだったのだろうけれど、

そこになぜか視点をよこせと言われた私は一体なんだろう?と。(もちろんただの偶然であるにせよ)

昔、人に、君には色がないんだよね。と言われたことを思い出していた。

くだらないついでに

雪で視点で色がないってくるとシモ・ヘイヘを思い出したけど、

もちろんあんなシューティングの才能はなく。

 

次はどこへ行こう。

 

食いちゅうぶならぬ出かけちゅうぶである。

 

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もちろん白川郷そばにも川が流れていた。

白川ではなくて庄川というらしい。

 

まったく、私は一体全体何をしてるんだろう。

一日一善一年分くらい

 

昨日は思ったより寒くないな、と思ったけれど

今日は寒かった。岐阜。

 

奥飛騨よりも高山の方が寒い気がするなぁ。

白川郷にも行ったけど

高山と白川郷は寒さがあまり変わらなかった。

どちらも寒かった。

 

白川郷を散策していたら

三回、海外の人に写真を撮ってくれと声をかけられた。

ダラダラ歩いているからなのだろうか。

まぁそれはいいんだけど、

ベトナムから来たというカップル、

一度iPhoneで写真を撮って、これでいいですか?オーケー。では。

と終わったはずなのに

その後でもう一度、やっぱり今度は全身入るように撮ってくれ。と声をかけられた。

さっきも全身入りで撮ったけどなぁ、と疑問に思いつつ

じゃあ……と受け取ったら

黄昏時の合掌造を背にプロポーズがはじまって、

私は即席プロポーズカメラマンに任命されたようだと気がついた。

おいおい聞いてないけど、と思いつつ

でもなんだかiPhoneで撮るのもなぁと

iPhoneを連れに渡して、

カメラでそれなりの写真を撮って、

AirDropであげたら喜んでくれました。

よくそんな後の人生において大切になるだろうシーンを

見知らぬ日本人の根暗そうな私に託したな、男性。

私が撮った写真は、あのベトナム人カップルのフェイスブックかインスタグラムにあがるのだろうか。

どうぞ幸福に。

 

この話を友人にして、

私なかなかいい事したと思うんだ。と言ったら、

いい事したよ。偉い。とかえってきた。

一日一善一年分くらいじゃないか。

と思いました。まる。

 

しかし不思議だなぁ。

あのカップルにとって

私が撮った写真は記憶に残るだろうけど、

それを撮った私のことなんてきっとすぐ忘れてしまうだろう。

そうやって私が撮った写真だけが後に残ると……いいですね。

見知らぬ人の人生に

少しばかり闖入した一日でした。

 

人生は不思議だ。

私の人生もまだ不思議なものになっていく余地があるのでしょうか。

 

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冷える

 

荷造りは明日やろう。

と早々に諦めて布団に。

今日はなんだかとても寒い。

夜になってから冷える。

 

岐阜はもっともっと寒いだろうなぁ。

今更、どうしよう。寒いのやだな。

と思っている。

 

自分で書いて本当にその通りだなと思ったけれど

一緒にいればいるほど離れがたくなってしまう。

 

変なことだけも

期間が空くと

さみしさが薄らいで(あるいは慣れて)いって、

逆に、

会うことによって

さみしさが濃くなってしまうなぁ、と思うことがある。

会うとまたさみしくなるから、

会わないでいた方がさみしくないのではないか。という倒錯を抱いたりもする。

 

不在が成り立つには

その前にまず在ることが必要ということなのでしょう。

当たり前だけど、でもそういうのって大きい。

 

しかし冷えるなぁ今日。

寝よう

 

ごくごく最近見つけた

素敵な気がする人のSNSを見てて

その人が鬱病と知る。

みんな、いろんなものと闘って、

あるいは共存しているのだなぁ。と思う。

 

さて、寝よう。

布団は暖かくていい。

 

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ラナンキュラスが解けてきた。

行けるうちに

 

週末岐阜に行くついでに

せっかくなら白川郷にも寄りたい

と思ったのだけど、

どうやら週末はライトアップによる入村規制があるらしい。

入村規制ってすごいなぁ。

どうしたものか。

 

行けるうちにいろんなところに行きたいなぁ。

 

わりかし馬の合う人たちの多くが、自分は友達が少ない。と言う。

私も友達少ない。

大人になったから、とかじゃなくて

元から絶対数が少なかった。

お互いに友達が少ないと言い合っている。

 

九州旅行は夏で、

それまでにちょっとどっか行きたいな、と思って色々調べたりしている。

 

友達が少ないと気づいたらしい人が

こないだお仕事を休んで1日朝から晩まで散歩してたらしく

後半は雀荘にいた、というので

そういうのよくわかんないから不思議だなぁ、と言ったら

君の旅行と一緒だよ。と言われた。

そもそも旅先で何するの。と聞かれたけど、

何するんだろうか、たしかに。

私はあまり土産物屋や食べ歩きを楽しがる質ではないし。

 

少しの時間、私と変わって私が日頃感じているように感じる体験をしてくれたなら

この不安や

ここではないどこかに行きたいという切実さ、

みたいなものがすぐわかってもらえるんじゃないか。と思う。

中略して、

とどのつまり、お互いにお互いの苦しさなんてわからないよなぁ。と思う。

諦めつつ、仲良くやりたいものですね。

 

宇宙の果てまでただずっととんでいくボイジャーのことを考えると

なんだかそれは死そのもののことのような気がしてくる。

と今日はだいたいそんなことを思っていました。