つくねん

ただの日記

 

昨日さ、

蒸発しようかなと言ったら、いつからするのと予定をきかれて

なんだそれーって思ったんだけど。

それが彼の優しさだというのはわかっているけれど、おかしくて笑ってしまった。

優しい人だと思う。あと大人ですよね。

間違いなく大人だけど。

なんというか、その大人感がたまに

万里の長城みたいな、ベルリンの壁みたいな、ものすごい隔たりに感じることがある。

そういう時に、ああ隔絶されてんなと思って、なんとも言えない気持ちになる。

隔絶されてるというのはある面では正しい理解なんと思う。

だって何から何まで違うし。

私なんて蒸発したところでほんとどうでもいいような人間だけど

あちらなんて蒸発した日には困ってしまう人がたくさんいるだろう。

社会的必要度も違えば人望のあるなしも違うわけです。

書いてて悲しくなるけど。

でもそんな人とよくわからん具合で出会ってからというもの、

ひたすら多摩川の土手を歩くだけの試みに付き合ってくれたり

あーだこーだどうでもいいわけのわからない戯言に付き合ってくれたりしてる。

ずっと。

私はそういうのに慣れてしまうのが怖くて、

といってもそのありがたさに慣れてしまっていて、

そういうのよくないよと私は私に言うんだけど。

だめだなぁ。

 

かさぶたをはがす癖があって、

この頃、相手にかさぶたを発見すると剥がしたい欲求が自分の身体にあるかさぶたへの欲求と同じようにわく。

私は相手との境界をとかしてしまってきているんだと思う。

そういう欲望があるんだろうな。手を繋ぎたいの延長過激バージョンみたいな。

でもまぁ相手の身体を傷つける行為はよくない。

相手はかさぶたをはがす癖がない人みたいだから、

私が相手の身体にあるかさぶたへのその欲求とたたかっていると

剥がさないでと意思表示してくれる。

相手の身体性は私から独立したもので、

相手の精神性だってそうで、

もちろん逆もそうで。

だからそういうのをちょっと落ち着いて考えないといけない。と思う。

特に最近、季節柄か無駄に落ち込んでいて、

こういう時に私の思考というのはネジが飛んで暴走しやすいというのを知っているので。

だからと言ってどうにかなった試しは少ないけれど、どうにかしないといけない。

じゃないとまた一方的に嫌な思いをさせてしまう。

与えてくれるものの上にあぐらをかいていて

何様だよお前という感じなので、蹴り飛ばしてやらないといけない。

私だってもらってる分何かを返したい。

相手の優しさを消費してばかりでそんなのは嫌なんだけど、なんの生産性もない人間だから

だからどうしよう。どうすればいいのかわからないまま来てしまって、なのでその辺りを落ち着いて考えよう。

救われ

 

深いため息をつきたい。

ついたからってどうなるものでもないけど。

このもやもやが晴れて、

前向きになって人生が素晴らしいものに見えてくるわけでもないけど。

 

最近、あるドキュメンタリー映画をみた。

致死的な難病を患った男性が、

信仰の問題をめぐって父親と対立する。

父親は聖書を信じていて、

男性はそうでもなさそう。

かといって、彼は神を信じていないわけではない。

信仰は話の主題ではなかったから

詳しくはわからなかったけれど、

男性が父親に掴みかかって

信仰の方法を押し付けるな、

それは個々人と神との繋がり(方)に口を出すことだ、

僕の魂はすでに救われている。

と泣きながら言うんだよね。

話の主題ではないけれど、一番印象的な場面だった。

僕の魂はすでに救われている。

すごい言葉だと思う。

 

順調に成功者としての人生を歩んできて、

いきなり崖の底に突き落とされて、

リミットがそれとなく見えている中で

魂はすでに救われているという言葉って。

 

それがなにかしらの信仰によって救われたのか、

他の物語によって救われたのか

その詳細はわからないけれど。

 

宗教、家族、国家、会社、自己啓発セミナー、夢や希望をうたうマルチ商法などなど

ぱっと思いつく、人を救う物語たち。

今のところ、自覚する範囲では私はどれにも救われてないけど。

 

人生のどうしようもなさから救われること。

そんなことがあるの?????????

というかこんなことばかり考えてて、

そりゃお前生きてて楽しい?なんて言われるわけだよね。

 

 

しかし寒い。今日。

 

 

 

 

本日の小確幸

 

古本を買いまして。

ずっと読みたいと思ってたけど、なんとなく先延ばしにしてた。

三島由紀夫関連の本。

 

で、意図せず買った本が署名本でした。

まぁ、研究者でも文筆家でもない人が書いた思い出本なのですが

すごく嬉しかったんですよね。

 

なぜって、おそらくこの本の前の持ち主は(署名の宛名の人)

三島さんにそれなりに興味や関心があったんだろうということがなんとなくわかる。からで。

署名日付が読了日の後で、わざわざこの本を持って著者を訪ねて行ったんですね。

本の扱いもとても丁寧な人だったんだということは、本の状態からわかるし。

そんな人が、この本を手放すのは

おそらく亡くなったからじゃないのかと思って、

お名前と書き込み内容からご本人らしき人が特定できたのですが、

やはりお亡くなりになってるんだなぁ。

弁護士さんだったみたい。

(三島さんとのつながりが何かあったのだろうか?という妄想も膨らむよね)

 

そんな人のところから本がやってきて、

嬉しくないわけがない。

思いみたいなものの全部はわからないけど、

そういうのがこの本には確かに乗ってきてて

よくいらっしゃいましたという気持ち。

 

今日の小確幸でした。

 

f:id:shrikm:20180221213125j:image

生きて関係しあう

 

たまに行く道に

立派なハクモクレンの木があって

フェルトみたいな蕾と、その後に咲く綺麗な花が好きだった。

 

んだけど。

今日通りかかったら、木の横の御宅が取り壊されていて

ハクモクレンの木もなくなって

更地になってしまっていた。

先月はあったのに。

ハクモクレンはその内で

そろそろくる春のための用意をしていただろうなと思うと

悲しくなった。

何切れかに分解されて、

どこかに打ち捨てられてしまうんだろうか。

 

思い出というものについて思ったこと。

誰かと何かをやったり、食べたり、どこかに行ったりどこかで待ち合わせしたり。

思い出が増えてくのって、すごいなと思う。

私とその人とが生きて関係しあってないと、増えていかないんだから。

思い出って。

でも思い出が増えるのって、ちょっとかなしいときもあるよね。

生きて関係しあってるって、尊いことだけど

その尊さが重くて重くてしんどくなるときがある。気がする。

 

解体中の家屋に思い出を感じる。

もちろん私の思い出ではなくて、

そこに住んでいた誰かの思い出。

その家自身が持つ思い出とでもいうべきもの。

 

外でみるあれこれに

いちいち落ち込んでいるここ何日間かです。

 

立花隆臨死体験読んでみようかなぁ。

細い月

 

ビルとビルの合間に細い月があって、目が合った。

 

今朝、なんとも言えない夢を見たんだけど。

きっとそれは、

ああなんだ生きてたの、

もう死んでたかと思っていた、と言われた娘とその母親との話を聞かされていたからで

それを聞いた時、我々は各々、いったい何とたたかっているんだろうか、と思った。

 

さて。

ちいさな頃からずっと寂しくて

その寂しさが増幅する時々に

誰かといれば寂しくないのかしら。

なんて思うけれど、

そんなはずはない。ということは分かる。

ひとりでいて寂しい人間は、

なん人でいたって寂しいだろうなぁ。

 

なんて思っていたら、友人から電話。

最近ビデオ通話でかけてきて、私はもちろんビデオオフにするので

ユーチューバー状態。強制視聴。

スピッツのデザイン集?を買ったようで、それを見せつけながら

これがいいあれがいいとかなんとか。

生きてると不安になることあるけど、そういう時は自分の原点に戻らないとね。

とのことです。

それがスピッツのデザイン集に詰まっているんだって。

私の原点ってなんだろうか。わからない。

わからないことだらけである。

宇宙の外もわかんないし、死んだあとのこともわかんないし。嫌になってしまう。

 

そういえば。

いつしかの話を覚えていたらしくて、

ボーリングやりました。

相手の前で新しい動作をとるのは本当に恥ずかしい。

でも、あっち行っててと言ったら行ってくれて、それを見てた店員さんがすごい顔してた。

ので、呼び戻しに行きました。

楽しかったですが、指が痛かったです。

投げ方が悪いんだろうなぁ。

あと普段自分がいかに運動していないかという話。腿の付け根いたい。

もっと重いボール投げられるのかな。

自分の体重の1割くらいを目安って。えー。

ところでボーリングの起源が面白かった。

 

なんて言いつつ。

今はベッドでうだうだしてる映像が流されてきてる。

もう切っていいかな。

耳なし芳一の話などをしている。

(和尚は業務上過失致傷だ、とかなんとか)

 

f:id:shrikm:20180218223630j:image

 

 

 

バレンタイン他

 

バレンタイン。

ねえ、チョコないの?と言われたので

その時食べていた江崎グリコ製チョコレートを2粒あげました。

 

先週飲み会であった人に、お返しちゃんとするんでバレンタイン待っています。

と言われたけど。

チョコレート好きな男の人は主張するのが主流なんでしょうか。

ダーツとかガーナとか、おいしいよね。

というか私もほしい。チョコレート好きだし。

ホワイトチョコレートは苦手だけど。

ホワイトチョコレートをもらうことがほどほどにあるけど、

食べられないから人にあげてしまう。悲しい。)

 

あ、でも今日六花亭のお菓子をもらいました。わーい。

 

あと、Bunkamuraウォン・カーウァイ特集するんですね。

ウォン・カーウァイの撮るトニー・レオンが好きです。

恋する惑星」はあまり好みじゃないけど、

ブエノスアイレス」はじめとするその他は好きです。

アン・リーの撮ったトニー・レオンも好きです。

それを知ってから、私の脳内BGMが「キサス・キサス・キサス」です。

この歌も好きです。

何か見に行こうかなぁ。

 

そういえば小沢健二君がライブするんだね。

行ってみたいけど、のされそうだなぁ。

情緒エネルギーの総体みたいなものに。(想像)

人間って勝手

 

小学館から出た安楽死をめぐるルポルタージュを読んでいたのですが。

家で読んでると気が滅入るので、

近所のカフェで全体の9割まで読み進めました。

オフィスビルの前にあるカフェって、

祝日は穴場なんですね。

いいことだ。

たくさんの人が本を読んでいる。

左隣は小説、右隣はビジネス書かな。

 

死というものにずっと興味があったとはいえ、

この本を読んだ理由のひとつは、最近の事件でした。

自らの意志(と、あえていうけど)で死に臨もうとする人間は、

今際に何を考え感じ思っているのか。

ということに、興味があったのです。

なんて言うと、とんでもなく無礼な人間である気がしてくるけど。 

この本の取材対象は多く西欧人で、

日本人とはものの感じ方も考え方も社会の捉え方も異なるんだというのは

強く意識しておかなきゃいけないことですが。

 

安楽死は、

身体的に耐え難い苦痛を抱える人の選択肢であると理解していたんですが、

国によってはすでに精神的に耐え難い苦痛に対しても適用されているようです。

 

雪国への道中、

安楽死についてどう思っているか、というのを尋ねられたけど

実のところ、よくわかりません。

(尋ね方が面白くて笑ってしまった。)

 

人はそれぞれ自分の人生を降りる権利があるとは思っていますし

それについて他者がとやかく言えるものでもないと思ってもいます。

でも生き死にって、多分に感情が絡むことだから

私が大切に思っている人にそうしたいと言われれば、動揺するし、

なんとかそうしなくて済むように仕向けると思います。

生きていてほしいからですね。

人間って勝手です。

それでもなお、相手がそう望むなら

私はもう何も言えなくなるんだろうなぁ。

生きていてほしいと思うのは私のエゴで、

それによって何らかの苦痛を抱える人をその苦痛の内に閉じ込め続ける権利なんて私は有さないよね。

でも……という具合になるんでしょう。

仏教的な意味での愛という言葉が思い浮かびます。

 

日本で安楽死が法制化され得るか、みたいな話もちょこっとしたけど

難しいと思う、と彼も筆者も言っていた通り、難しいんだろうなぁ。

日本においてはその意思決定に

多分に迷惑という言葉が関わってきて、

人に迷惑をかけたくないから死ぬという言葉に具体的手段を与えてしまうのは、

すごく危険だろうなぁ。

空気を読んで死んでしまう人ばかりになるかもしれません。

また、おそらく昨今の気運の中では

生産性の低い人間をそれに追いやってしまう危険性もあると思います。

 

本の中で、

安楽死という選択肢が自らの手中にあると知った患者は安心し、ただその事実だけで身体的精神的苦痛が和らぐことさえあり、安楽死を行使せず自然死に至ることも少なくない。

という、安楽死実施団体の責任者の言葉がありました。

安楽死を考え、その許可がでている精神疾患を抱えるの女性もそのようなことを取材に対して語っていました。

とても印象深かったところです。

 

で。

最終的に筆者は、日本には安楽死は必要ない、とおそらく希望を持って書いているんだけど。

それは日本が西欧諸国に比べて共同体主義であるというところに理由を据えているっぽいんですが。

(長く海外暮らしの筆者が、日本での取材を通じて自身の日本人としての感覚を再認識した、というような書き方もされていて)

その最後の部分で、なんだかなぁ、という気持ちになってしまいました。

 

疲れたのでここまで。ただの感想でした。

 

f:id:shrikm:20180212212340j:image

 

近隣の建物。

一直線に明かりが伸びていて

下を通るたびにうおっと思います。

 

最近

私の中で迷子になっていたオリオン座がめでたく発見されました。

天頂やや南東にあるよ、と教えてくれたので。

前ってもう少し見つけやすかった気がするんだけど、気のせいかな。