つくねん

ただの日記

タイミング

 

昨日から、左耳が少し変。

このところ体調が優れなかったりで、

と言う話をLINEで世間話的に友人にしたら、亜鉛とりなよ亜鉛、と言われた。

Zn

 

人生はタイミング、とはいうけれど。

というのを、なんかの話で思ったのだけど、そのなんかを忘れた。

まぁ、ほんと、そうなんだろうなぁ。なんて思う。

 

これは4、5年前だったけれども

そもそもなぜ私に声をかけたのかという話から、

あの頃は大変だったから、という回答をもらったことがある。

わりとお酒も入っていはしたけれど、まあだからこそ、

そういうことなんだなぁと私は理解したのだけど。

そうじゃなかったら声なんてかけていないでしょう。と続けて言われた記憶がある。

まあ、そうだろうなぁ。

こういうのも一種のタイミングという話ですね。おそらくは。

 

最近バタバタしてるので、丸投げしてしまった。

まあいっか。正直あんまり気乗りしない、というのもあったりなかったり。

早く寝ようっと。

 

鎌倉

 

鎌倉を散歩してきた。

まだ紅葉には早いこの時期が、わりと鎌倉に行きやすいシーズンなのかも。

夏は夏で海水浴客であふれるし。

桜、紫陽花、海水浴、花火、紅葉。

晴れた日の冬の鎌倉散歩も気持ちよさそうだけど。

 

北鎌倉で降りて、浄智寺へ。

浄智寺、行ったことなかった。

円覚寺明月院東慶寺、そしてすっ飛ばして建長寺

は行ったことがあるんですけど。

いいお寺だった。浄智寺

何を隠そう、澁澤龍彦の墓があって

どうやら入り口で尋ねれば?教えてくれるらしい。(きいてくれた)

これは東慶寺と違って聞かなきゃ場所がわからないよなぁ。

お酒が供えられていました。

 

東慶寺は、前に見つけられなかった?小林秀雄のお墓も見つけられたことだし

高見順の墓もあったし。

詩碑の文字が読めなかったけれど、その後の鎌倉文学館で放映してたビデオで解決した。

祈りと知らない祈りの姿は美しい、だったのだなぁ。

 

多磨霊園にはこう、おりゃーって感じの、示威的なお墓が結構ある気がするけれど

文人のお墓はいいものですね。こじんまりしてて。

 

そのあと鎌倉経由で由比ヶ浜に出て、

鎌倉文学館へ行き、

由比ヶ浜を歩いて鎌倉まで戻りました。

 

晩御飯を食べさせてもらったんだけど、

きのう何食べた?と聞かれて

・・・・・・牛タン食べたけど、でも選択肢に肉が上がってたらあれだなぁと思って黙っていたら

唐突に、餃子?と言われて笑った。

餃子も好きですけど。

 

郵便局のアプリで苗字の分布やら人数やらについて調べられるらしくて

いろいろ調べてもらっていました。

楽しかったです。

世の中には色々な苗字があることだ。

かねがね、一と書いてニノマエさんが羨ましいなぁと思っていた。

書くの楽そうだし(サインが楽なのでは……)、

名前の順もナ行でほどよい感じがする。

調べたところ、一、二、三までは苗字にいて

次は少しとんで九、らしい。ふうん。

 

ぐーぐー寝てて、ふと目を覚ましたら

なんだか一瞬うなされてそうな感じだったので

どうしようと見てたら起きたのでよかったです。

 

いつも奈良交通のツアーを忘れてしまう

円照寺の話をしたけど

今年(というか来年)も忘れそう。

いつか行きたいんだけどなぁ。

いつも春になって思い出すんですよね。

きっと冬眠してるんだろうな。

あ、あと、あれ

九品仏浄信寺のお面かぶりも見に行きたいんですよね。

3年に一度のやつ。これも忘れちゃうのだよなぁ。

次は2020年かぁ……去年なぜ思い出さなかったのか。

ちなみにこれは澁澤龍彦も見たようです。

なにかに書いてました。

 

秋の丹沢、行こうか迷うなぁ。

まずは高尾山からかな。

丹沢、熊いるんだなぁ。

さっき本屋に寄ったら、なんかの雑誌が丹沢特集だった。

(乗鞍岳に登る前に登山雑誌を見てたら、ワンダーフォーゲルという雑誌があって、ふふふってなった。)

ああ、どこか行きたいなぁ。

旅行は趣味というより、

なんか、どこか行っとかないと自意識が暴走するので、対症療法的な何かな気がする。

趣味というより。

 

しかし昨日から一気に寒くなってしまった。

 

一緒にいればいるほど好きになってしまうなぁ。

 

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親と友人2

 

くたくただなぁ。

さっき携帯を見たら、

親から、私の友人に、友人の好物であるらしい地元の特産品を送る旨連絡がきてた。

は、はぁ。

こないだの夕食のお礼など、兼ねているのかしら。

私も電話してありがとう、気を遣わせてごめんねと言っただけで

何もお礼してないしなぁ。

 

にしても、相当気に入ってるんだなぁ。

まあ愛想がいいし、人好きのする感じだし、

親が嫌いなガリ勉系でもなくて、

親的には、

なぜこんな類型の人間が娘と友達なのかと不思議に思っているに違いない。

 

前に友人に、俺のいいところってどこだと思うと聞かれて

んーーーーー、と考え、

てらいのないとこじゃない。と言ったら以後それを多用していて少しめんどくさい。

 

なんか今後も、勝手に連絡とって

勝手にご飯とか行きそうだよなあ。やだな。

私のことを話さないでほしいんだよなぁ。

 

私には関係のないこと、

 

甲板から船がかき分けた波の飛沫なんてぼんやり見ていて

八代目市川團蔵のことが想起されるなぁ、なんて思っていた。

船に乗ると高頻度で思い出すのですが。

 

そんなことを思ってたら、

一緒に欄干にもたれてた連れから

電車のホーム際にいるような

死への近接感を感じるね。と言われたので

多分そういうことなんだと思うな。

 

洗ったばかりの髪が潮風でぎしぎしになる。

 

最近、でもないけど

よく思うことがあって

その考えが一時的に強まったり弱まったりして。

ひとつは、個々の現実というものの違いと

私ができることとできないこと(能力の話とはまた少し違う)についてで

まぁ、なんというか

そういうことを考えると、

これが遣る瀬無いという気持ちなんだろうなぁと思う。

しばらく、そういう気持ちから離れたいのだけど。

 

島とか森とかに行っても

今はだいたい電波が通じるから

迷子になっても安心ではあるけれど

やれ、なになに線が遅延しているとか、

運転見合わせですとかって通知も来たりして。

真実、今の私には関係のないこと、関係しようもないことに、

そうやって、あたかも関係のある物事、関係できる物事であるかのように思わされているよな

という、そんなげんなりした気分になるのだけど

私が考えていることも、そういうことなのだと思う。

 

関係のないことなのに、あたかも関係のあるように、もしくは関係することができるように、思い込んでいるだけなんだよなぁ

なんて、よく思うんですよね。

そう思うんですよね、ほんと。

そしておそらくそれは、正しいのだろうなと思う。

 

そんなことをぼんやり考えて、人の話はおざなりに聞いていて、あまりよくないですね。

 

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なんか似てる

 

あれだな、

なんか似てる……好き、ってなるのやめたいな。安易すぎて。

でもなんか似てるとそりゃ好ましいと感じるよねぇ。

パリッとした青系のシャツきてて

テンションが上がりました。

穏やかだし。細めだし。眼鏡だし。

でも眼鏡と腕時計の趣味は違うっぽいなぁ。

なんか雰囲気似てるな……細身で体に合ったパリッとしたシャツきてて物腰も柔らかくて……気になるから眺めてどきどきするなどしていました。

秋は短いから

 

写真って、女々しいものなんだろうか。

 

写真を撮る習慣がないという人が、

わりと身近にちらちらといた。

言い分としては、

面倒くさい、写真を撮ったって仕方ない、思い出は頭の中に残るからそれでいい。

というようなもので。

写真は撮るけど、撮った写真を後生大事に残してるのは女々しくてやだ、という意見も。

 

写真を撮る習慣があり、

かつ過去の写真もわりと大切に思うのは

この小さなコミュニティでは私だけのようだったので、

つい、なかなか変わった人たちの集まりだなぁとぼやいたら

いやいや、あなたに言われたくないから。

と物言いが入ってしまった。

 

物語性への執着の度合いの違いとかが関係するんだろうか。

写真が正に過去と密接に関係するものであればこそ。(なにより、そもそも写真は関係性を写すものだ、ということもあるのだろうけど)

写真といえば、

前に友人から

昔の恋人の写真を全削除させられたことがある。という話をきいたな。

これも一種

物語性への執着の度合いが強いことの効果だろうなぁ、と思うけど。

君なら同じことを要求する?、ときかれたな。

色々考えたけど、要求しないだろうなぁ。

気持ちが想像できなくはない。

嫉妬することもあるだろうし、

相手を真に好きだとして、

その相手の過去への介在が不可能であるという事実がしんどいこともあるだろうし。

それのひとつの表れだよね、そういうものって。

でもだからって相手にその過去を放棄させるのは違うよなぁ、と思うし。

そうすることで余計に

過去とその物語性と介在不可能である事実が補強されるような気がしてしまうけどな。

それになにより、

多少なりとも相手の魂の領分に関わることについて、私は何も言えないし。

きっと私自身がその辺について何も言われたくない気持ちが強い人間だから、

相手にも言わないだろうと思うし、

なにより無粋と思うので言いたくない。

と答えた記憶がある。

 

先述の、

写真にあまり物語性を見出してなさそうな人たちは

こういうケースをどう思うんだろう?

ちょっと今度聞いてみよう。

 

写真ばかりじゃなく

前の恋人からもらったものを捨てさせるとか

または自ら捨てるとか

こういう過去清算の行いって

色々あるよね。

 

わりと強く

過去とその物語性から解放されたいと考えている方の人間だと思うけど

自分なり誰かなりのそのどうしようもなさにしんどくなると

蒸発したさが加速するタイプである。

なんて言ってたら、ぱっくり親指を切っちゃった。

 

そのようなしんどさの絶頂にいた時期、

夜中に友人が電話をかけてきたので、

つい、生きていくのが辛いと言って泣くという

後にも先にもそれ1回きりだろう、というような

感情のお恥ずかしい発露があったのですが

優しい友人は、三島さん市ヶ谷駐屯地乱入の寸劇(やじる自衛隊員等)をして

励ましてくれたのだった。

あのことを友人は蒸し返さないけど、覚えてるんだろうなぁ。

 

そんな友人は、今仕事で長期地方滞在中らしく

その最中の休みに、今日俺の世界は日曜日だよ!

とかって全くわけのわからない電話をよこすのですが。

 

なんの話だっけ。写真だ。

私は色んなことをちゃんと覚えておきたいなぁ、だってどのみち忘れてしまうし、死んだらどこにも何も残らないから。

こういうくだらない話をしながら飲みたい気分だ。疲れてるのかな。

 

週末天気も持つみたいだし出かけよう、

って。

やったー。

秋は短いからね、気合いを入れて散歩しなくてはね。

再来週もどこかいくんだろうか、ところで。

秋は短いからなぁ。

ほんと秋は短いのだよねぇ……

一番好きな季節なんだけど。

来月もどっか行きたいし、

小逃避行の計画でもしたらのってくれるかな。