つくねん

ただの日記

当たり屋

 

コンビニとかの会計で

棚の間に整列線があるときに

それを知らない人がレジ横からヒュと入ってきたりする。

で、それから私に気がついて

あっと言われるんだけど

お先にどうぞ。と言う。

自分の後ろに誰も並んでなければ。

 

今日は、

明らかに子どもに頼まれたんだろうなという人(店員さんにタピオカってどれですか、と聞いていた)が

タピオカミルクティの会計をしようとしていたので

お先にどうぞと言った。

そうやって頼まれたものを買いに行くなんて尊いな、と思うし、

本人もちょっとでもいい気分で買えたほうがよかろうな、と思ったのだった。

何より

そういうのってちょっと羨ましいや。

誰かが何かをしてくれるなんて全然当たり前ではないから、

そうやって誰かが何かを誰かのためにしている姿というのは

弱った気持ちにぐさぐさくるものがある。

気が弱っているのは

当たり屋みたいなもんだなぁ。

 

当たり屋ついでに。

ここ数日のうちに

心を開いてくれないよね、本音を言わないよねというのを

2人の人から言われた。

でた。

こんなことを言われるのは

今に始まったことではないんだけど。

 

そういう人たちが求めてる本音や開かれた心ってなんだろう、といつも思う。

その人たちって、私の本音や私が心を開くことを真実求めているのだろうか?

よくわからんなぁ、と思う。

そういう人たちの心は

オープンスペースかなにかなのかしら。

そういう人たちが私に対して

特に心を開いてくれているとも

本音を話しているとも思えないんだけど。

と今度いってみようかな。嫌われそうだなぁ。

作用反作用

 

虚しさみたいなものがあって

まあなんだか居心地が悪いしなぁと

気分転換的な何かを求めてみても

なんだかやっぱり虚しいな、と思う。

 

死んだら虚しいも何もないんだから

と思うけど

でもこのまま死ぬまで虚しいのか、と思うと

それがとても怖いことに思える。

1時間先に自分が生きているかさえわからないというのを

先週目の当たりにしたばかりなのに。

 

みんなどうやって虚しさと戦っているんだろう。

日々が充実していたら虚しさなんてないんだろうか。

 

今日の作用が強かったから、反作用でこんなに虚しいのかなぁ。

いかれてるなぁと自分が一番感じている。

日が落ちてから

 

ここ数日、

友人がタッチの話をするので

私も読んでみようと思って読んでいる。

こういう少年コミックスのところどころに挟まれる

ヒロインの下着姿は

男の子たちに何かしらの希望を与えるものなのだろうか。

 

達也と和也がどっちがどっち

10巻にしてようやく判別がつき始めたのだけど

これは単に和也が死んでしまって

達也しかいなくなったからである。

不在の力はすごい。

 

今日は朝から

話を聞いてくれというから何かと思えば

剃刀負けするから回転式シェーバーを買ったけど使うのが難しい。という

話を聞かされた。

ふーん。と言った。

その人の髭剃りに興味がないのである。

 

人に映画に誘ってもらったので

日が落ちてからであれば、と返したら

その前にご飯も食べることになった。

そして

レイトショーを見て、

今は帰る電車の中。

日が変わってしまった。ねむい。

私に見たい映画があって

それでもいいと言ってくれたんだけど、

あまり頭を働かせたくない気分だったので邦画にした。

字幕を読まなくていいだけ、頭も楽かなと思い。

はじめていく映画館だった。

映画は思ったより面白かった。

今年80本目。

ただ眠いなぁ。

駅前のコンビニでコーラ買って帰って寝よう。

 

ところで、新宿はレイトショー料金にならないと初めて知った。

新宿にあまり映画を見に行かないから知らなかった。

 

間口

 

友人とご飯を食べた。

時間までちょっと時間があったから本屋によったんだけど

新刊コーナーにも実にいろんな本があるなぁ、と思った。

みんな、何かしら書くべきことを持っているんだな。

 

いろいろ話をしていたけれど

その中で、好みって変わらない?という話題があった。

話を聞くに、こういう人は嫌だなぁと思っていたことが

どんどん許容されていって(例えば喫煙者だとか)、

間口が広くなっていくという話だった。

うーん。

喫煙者は嫌だし、ギャンブルする人も変わらず嫌だなぁ。と思った。

私の好きになる人の系統は

もうこれはずーーーーっと変わらない。一貫している。

最近発見したのは、手がゴツゴツしている人は苦手だということだから、

間口が狭まっている。

その話をしたら、笑われて、気持ちはわかるけどそれは仕方なくない?と言われた。

まあそうなんだけども。

 

そういえばこないだ一緒に旅行した友人も言ってたなぁ。

顔じゃない、ということがわかってきたような気がする。って。

そういうもんなのか。でもあまりに太ってる人はやだなぁ、私は。

自分を棚に上げてるけど。

 

今日ご飯を食べた友人が最近許せるようになったことに

男の人のタートルネックがあるようだけど、

私は細身の男性のタートルネックは大好きである。

そんな我々も、

ネクタイは青系がいいよね、赤系は嫌だよね

というのは一致しました。

私は眼鏡してる人も好きだけど、

友人はむしろ眼鏡かけないほうがよくない?というような人がいいんだとか。

 

まぁ最終的に、人間、どんな人を好きになるかなんて人を好きになってみてからじゃないとわかんないなと思う。

赤系のネクタイを多用する人を好きになるかもしれない。

まぁなんかそれはない気がするけど、

惹かれるものがあるならそんなことは些細なことになっちゃうんだろうと思う。

 

友人は今付き合ってる人と距離があって

次に行くべきか悩みながら

新たな人とご飯を食べに言ったり、精力的に活動しているらしい。

どのアプリがどうだとか、やるならこれがいいよ、とか色々レクチャーしてくれました。

 

投擲

 

下書きに入っていたもの。

 

わりと公開直後に

天気の子をみて

なんだかいろいろ感じ入ってしまった。

 

とくに、子どもだけで逃げて

ホテルに泊まった夜の食事のことと

その時に男の子が願う

ぼくたちから何も引かず、何も足さないでください

という思いについて。

 

自分がちょうど同じ年の頃に

親が入院してた病院の最上階で

おなじような自販機ご飯を食べていたことを思い出して、

極めて個人的な感情として

つらいなぁ、と思ったんだった。

 

そういう夜に

誰かがそばにいるのといないのとでは大きな違いがある。

 

この映画をみて

社会が存在していないと指摘したり

はたまた一人と世界で

一人を選ぶなんて身勝手すぎると憤慨していたりする人がいるけれど、

私にしてみれば、

自分にとって何か究極に大切なものと、世界その他(=社会)とをはかりにかけたら

そりゃ、世界その他なんて知ったこっちゃない。と思う。

 

私も平均的な教育を受けているから

ベンサム的な考えは理解できるのだけど、

自分の選択の話になったときに

世界を投擲する強さを持ちたいと思ってしまう方の人間である。

 

何もしてくれない社会と

自分が生きていることに何か価値があるかもと思わせてくれる存在とでは

どう考えても後者の方が

その個人にとっては大切だし、世界そのものなんじゃないの。と思う。

(もちろんこういうのは、例えば宗教なんかと結びつきがちで、本当に危険なことだとも思うけど)

社会がそう思わせてくれたことなんてないしな、というのは私の実感だし、

大人はいつも、何かしてくれるふりはするけれど、実際に何かをしてくれる人なんて9割9分いなかった(もちろんそれはある種の正しく安全な社会的仕草だと理解しているし、実際の問題として、誰かに何かをすることは本当に本当に難しいことだとわかっている)。

というのも実感したことなので、

個人的な思いと重なるところもあって

わかるな、と思ってしまう映画でした。

 

大人や社会への信頼というものは

よっぽど安心安全に生きてこられなければ身につかないのではないか、と思う。

大人や社会への信頼が欠けている映画だった、大人として、もっとそういうものへの信頼を子どもが持つような話にして欲しかった。

と言ってる人もいたけど、

そうだね、と思うと同時に、

違うよな、わかってないよな、と思う自分もいる。

夏の土日

 

よく寝た。

 

なんだかこっちの方が暑い気がする。

蒸しっとするというか。

 

この土日は、山間の温泉宿にお世話になっていた。

静かでいいところである。

初めて連れて行ってもらった時、冬で、それはそれはものすごい雪量だった。

真っ白な所に押し込められたような非日常的な景色だった。

 

しば犬がいて、犬猫大好きなので(テンションがすぐあがって、いぬー!とかねこー!とかって気持ちになってしまう)

とりあえず犬に構ってもらおうとするのだけど

つれなかったり、遊んでくれたり、半々くらい。

今回は手をベタベタに舐めてくれた。ベッタベタになった。

でも可愛い、犬だから。

犬や猫はいいなぁ。

猫も飼い始めないかしら。

 

初めて行った時に見つけた向かいの山の展望台に登った。

割と急な岩場があった。

登り始める前に買ってくれた500mlのアクエリアスは上につくまでに

半分以上飲んでしまって

夏だなぁ、という感じがした。

 

展望台は見晴らしがよくって

思いの外、川が蛇行していることがわかったり、

面白かった。鳥瞰。

山頂にゴツゴツした大きな岩があって、

その上に登りたいなと思ったのだけど

勝手に登ったら危ないって怒られるかもなぁと思ったので

岩が・・・あるよ、という感じでごにょごにょ言ったら

登ってくれたので私も登った。

もののけ姫ごっこみたいだなぁとバカなことを考えていたけれど、

そういうのって結構楽しいのだ。私的に。

またどっかふらっとトレッキングに行きたい気分である。

熊鈴買ってもらってるし。

 

私がいつもふらふらしてるので、

たまに

危ないよとか

そっちに行かないでとか

急がないでと言われたり

はたまた岩場で手を取って

引き上げてくれたりするのだけど、

そういう心配のされ方をしたことがあまりないので

いつも不思議だなぁと思っている。

 

あたりはいろんな蝉が鳴いていて、

でもちゃんと聞き分けることができるから、共生しているんだなぁ。

すごいな。と思っていた。

人間も蝉に見習ってほしい。お互い言うべきことを持つのは大切だけど、

相手の領分にまでがなりたてに言ったりしないでほしい。

 

山から降りたあとは、近くの河原に降りた。(私が降りたいと言った)

前に来た時は雨が降っていたからか、一面川だったのだけど

今回は水量が少なくて、割と静かな川になっていた。

思いの外、河原の石が大きめだったなぁ。

水に足をつけたくなって、裾をまくって足をつけたけど

ああいうのはいいものだなぁと思った。

久しぶりに地元の川で泳ぎたくなった。

でももうずいぶんと目が悪くなってコンタクトになっちゃってるから、どうなんだろうか。

人が川で泳ぐ時期って、ほんと短いのかも。

 

夜は夜で、線香花火を買ってきてくれてて

それをやった。

(実を言うと、一緒に花火したいし買って行こうかなぁと思ったのだけど、そう思ったのが前日夜でもちろん間に合わなかった)

ドンキの袋に入っていたけれど、

ドンキとか行くのをあまり想像できなかったな。

夏という感じだったなぁ。

線香花火、終わりかけに放射状にでる火花が結構好きで

ああいう静かなものというのはいいですね。

意外に煙が出るのか、髪に花火の匂いがついちゃったけど

それもそれで夏らしくて。

楽しかったです。

 

夜は夜でこんこんと寝ちゃったな。

熟睡していた。

寝たら朝になるからあんまり寝たくないんだけど。

そして最近、よく夢に現れる、という話をした。

 

そんな夏の土日でした。

楽しかったです。

 

お盆だけあって、

行きも帰りも電車には多くの人がいた。

お盆も年末年始も、

民族大移動だなぁと思う。

 

私はその移動行列から外れているので

この時期は

やや静かになるという東京やその近郊で

いつも通りだらだらと過ごすかな。

 

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帰りの電車に自衛官募集の広告があって、

体力に自信のない方でも大丈夫!みたいなことが書いてあったから

自衛官になろうかなぁと言ったら

それはダメだと言われたのが面白かったです。

思うこと

 

たまたま

不運な事故の目と鼻の先に居合わせてしまって

それで、色々思うんだけども。

やっぱり人間、1日、1時間、1分、1秒先のことはわからなくて

生き死にはそういうものだったなと。

そんなことばっか考えてると発狂しちゃうから、

おそらく1秒、1分、1時間、1日先にも自分も世界も存続しているだろう

という仮定の中で生きているわけで。

 

ずっと、お盆に水辺によってはいけないと言われて育ってきたけれど

久々に河原におりた嬉しさでついつい水に足を突っ込んじゃって

それでなんか、いらぬものでも呼んじゃったのかななんて少し考えたり。

 

何かしらの場面に遭遇すると、

きっと助けようとする方の人間だろうなと思うから

助けに行っちゃダメですよ。と言ったけれど、冷たい人間みたいに思われるんだろうか。

運よく自分も相手も無事に助けられればいいけれど、

運がいい、ばかりじゃないもの。

取り返しのつかないことになった時に、感情に行き場がなくなるから

やっぱり、プロをよんで待つのが最善策なのだと思う。

そういう場に万一居合わせることがあっても

絶対に助けに行って欲しくない。と思っていた。