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つくねん

思ったことや感じたことを書きとめる場として。

身体の外に出してしまうとだめなこと

 

一年半ぶりに会う友達と飲んできた。

 

どれだけ思っていても、考えていても

言葉にして自分の身体の外に出してしまうとだめなことってあって

それを思い知った時間であった。

 

良いことも悪いことも。

ほんと。

 

ほぼ私が聞き手なわけだけど

18で知り合って

そこから4年間と、

その後今までとの距離を思って

ああ、という気分になる。

 

その友人が私と付き合いを続けているのは

ばっちり馬があうからなのではなく、

おそらく、

私が周りと比べて冷めたふりをしているからだろうと思う。

やる気がなくて、夢も希望もなくて。

その気持ちは私にもわかるよ。

 

冷めた自分を示す相手として必要なのだろう。

自分のリアリスティックな立ち位置を確認して、ある意味承認するために。

コミュ障だけど、私もそれくらいはわかる。

 

君だから話すんだけど、ということ。

別に誰にも言わないけど、

私はアンコールワットの穴ではない。

 

私の考えだけど、

人に言って気を軽くするために

あるいはアンコールワットの穴に埋めるために

自分の身体の外にその思いや考えを出してしまうと、

それを言葉として自分の耳に入れてしまうと

あえてふわふわさせていたものが

質量をもってしまって

途端に立っていられなくなりそうで

それが一番こわいし、情けないと思う。

単に私が弱いだけなのだろうけど。

 

父親が、幽霊を怖がる幼い頃の私に

一番怖いのは生きている人間だと言ったけどさ。

留保なく誰かを信じられたら、

それはとても素晴らしいことに違いないけど。

 

さてさて。

私は一体どうすればよいというのでしょうか。

全くの独り言。

 

この視線をどこかに残しておきたい

 

父親が写真をやっていたこともあって

もともとカメラや写真は好きなのだけど。

 

写真をやっている友人が、

仲良くなりかけの時に

俺は死ぬのが怖くて写真を撮り始めたんだよね。と打明け話をしてくれたことがあった。

その時は、へえ、と思って聞いていたのだけど

なんだか最近、その気持ちがわかる気がする。

死ぬのが怖いから、というわけじゃないけど

この視線をどこかに残しておきたい、となんだか自分でもびっくりするような切なさを持って思うときがある。

 

写真というものは

撮る人間と撮られるものとの関係を写すのだと

友人が熱弁してくれたことがあった。

そしてここに写真があるというのは、

撮る私も撮られたあなたも、確かにその場にいたのだと。

2時間くらい話してくれたなぁ。

そのことを最近よく考える。

時間というのはなくなっていくばかりだと

思うからなのかもしれない。

 

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お土産としてなぜか渡された赤福と、

人が来たらとりあえずテレビでもつければいいのかなとか思ってたらしい寝起きの私。

 

次の旅行のことでも考えないと窒息しそう。

ぶくぶくぶく。

みんなちゃんとやっててえらい。えらすぎる。

それに比べて私ときたら。

何をやってるんだろう。自分でもわからない。

ごろごろ 2

 

映画を見に連れて行ってもらった。

「メッセージ」(ドゥニ・ヴィルヌーヴ)。

こないだ「マンチェスター・バイ・ザ・シー」(ケネス・ロナーガン)とどっちを見ようか迷ったのだけど、見ないでおいてよかった。

 

私が今後悔していることについて

その分岐となる時点で、こうして今、後悔している姿が見えたとして

と、考えざるを得なかったけど。

でもきっと、私は懲りずにこの未来を選ぶんだろうなぁ。とも思う。

まえに彼が言ってたけど、そのようにしか生きられない、ということなんだろう。

 

脱依存、自立、自律

と思っていたのだけど、もうだめだ。ごろごろしてしまう。

あと眠い。眠すぎる。

 

友達から聞いて気になってた風俗に関する話も聞いてみたけどよくわからなかった。

 

思考が散り散り

 

布団に入ってさあ寝るぞと目をつぶったら

だいたい寝る前と寝た後の世界の連続性が担保されてるなんて誰も言っちゃいないよなと

ふと思ってしまって

これはだめだ、というのが今。

 

なぜか頭に室町時代とかって単語が浮かんで

その頃私は存在してなかったし

存在してないという感覚を想像して

今後、いつからか永続するだろうその感覚について考えだしたら

なんだかもう。だめだ。

そういえば、バタイユが(略)。

とか、思考が散り散り。

だいたいこんなだけど。

 

傍目にあまり好ましくない人間でも

ぬいぐるみは等しく慰めてくれる。

さみしさ

 

雨上がりの空気

ご多分に漏れず好き。

 

自立とか依存とかについて考える。

依存先を増やすべきなのだと思う。

自由でいられるように。

 

雨上がりで夕日が真っ赤。

とても美しい。

ので、駅前の喫茶店に入ってぼーっとすることにした。

 

少し前にとてもよい句を見た。

 

淋しい犬の犬らしく尾をふる

 

というやつ。

素敵な句だなぁと思う。

淋しい犬の犬らしく尾をふる

表情が浮かぶし、

でもってその犬の目線で見上げる(べき)ものがあるのだとわかる。

 

同じ作者の句をいくつか見たけど

どれもさみしさに満ちていて

とても素敵。

 

一人にひとつの窓をもち月のある淋しさ

 

とか。

 

放哉が好きで、

今の私の歳で亡くなったらしい。

へえ。

立派な人がいるものだ。

こうやってさみしさをそのままきちんと

残せる人はすごい。

八木重吉もそうかな。

 

生きていることのどうしようもないさみしさには

こういう、人のさみしさが沁み入る。

 

各々のさみしさは

どうしたってわかりあえないけれど

それでも

人のさみしさを知るというのは

私と私以外の存在との紐帯だと思う。

 

お互いのさみしさを侵すことなく

無視することなく

 

そんな関係性を構築し維持するのは

すごくすごく、ものすごく難しいと思うけど

そんな関係性の中で他者とあれたら

それはおそらくとても素敵なことだろうなぁ。

 

なんて。

 

こんなことを普通に話せて

普通に受け入れてくれる友達がもっとほしい。

それは違うとか、こう思うとか。

 

ミルクティーも冷めてきてしまった。

 

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その数少ない友人がいきなり送ってきた

さみしさのライン。

何か良いこと

 

暗いことばかりを書くのもあれだから

何か良いことはないか。

 

一年くらい会えていない友人から連絡があり、来週ご飯にいくことに。

住んでるところはそれほど遠くないんだけど。

楽しみ。

 

だらだら歩いてたら、

少し困っているようなご高齢の女性がいて

一度通りすぎたけどやはり気になるしで声をかけたら

とても喜んでもらえた。

 

おにぎりの具

3種類の中で何がよいか迷ってたら

私が苦手なものを除いた2種類を頼んでくれた。

梅が食べたかったなんてことはないのだろうか。わかんないけど。

とりあえず嬉しかった。

 

ライブ、たまたまチケットがとれたし、

はじめに声をかけてみようかなぁと思ってたのだけど、すっかり忘れていた。

忘れてて、タクシーの中で思い出したけど

なんと言えばいいのかわからなくて

目的地手前まで頭の中でもごもごしていた。

緊張してやっぱいいですと言おうと思ったけどちゃんと言えた。

 

そんな感じ。

 

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汽車

夜の根津

 

夜の根津、落ち着くなぁと思った。

夜の散歩をしたい感じの場所だなぁ。

ふらふらと。