つくねん

ただの日記

手白澤

 

手白澤に行ってきました。

 

2か月くらい前、気持ちがどんと落ち込んでいる時に

どこか行きたいなぁと逃避先を探していて、見つけたのでした。

 

鬼怒川温泉駅から女夫渕行きバス(1番のりば)で

終点の女夫渕まで1時間半くらい。

そこから歩いて2時間半〜3時間くらいで着く山の中。

雪見風呂ができそうなこと、静かそうなこと、犬がいるらしいことが揃って行かない理由はなく。

 

女夫渕のバス停からスタート。

12時前について、腹ごしらえをし、ゲイターを履く。

ここですでに雪景色が広がっており、私のテンションは単純なので上がる。

 

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送迎バスの上に積もった雪にテンションがまた上がる。

奥鬼怒温泉の宿にはいくつか送迎をしてくれるところもあるようだけど

手白澤は送迎なしなので歩くかタクシーかしかなく、

タクシーで行く理由もないし、歩くのも目的なので歩く。

 

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鬼怒川沿いを歩く。

歩くたびに雪深くなっていく。

 


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雪がちらちら舞っていて、日が差すととても綺麗だった。

 

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つらら

 

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奥鬼怒温泉、初めの宿。

いい外見。

 

でもまだここから歩く。

 

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奥鬼怒温泉、2つめの宿。

春日野部屋合宿所が併設されていた。

 

まだここから歩く。

途中、猿がいた。

 

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坂を登るともっと雪深くなる。

 

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向こうに見える山がとても美しかった。

草津白根山という山なのでしょうか?

 

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モコモコの雪。

雪質はサラサラ。

 

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手白澤温泉に到着、とともに

向こうから犬くんが迎えに来てくれた。

かわいい・・・・・・。

やや疲れていた私の気持ちが晴れやかになる。

 

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とりあえず撫でる。

 

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撫でる。

 

帽子や手袋を外しながら撫でていたら、

犬くんが手袋をくわえて遁走してしまった。

どうやら手袋が好きで、どれだけ叱ってもくわえて行ってしまうらしい。

本人は遊びのつもりなのでしょう。

私の手袋をくわえて、くるのを待って、楽しそうな顔をして逃げて

私の手袋をはむはむして、また逃げて、というのを繰り返していた。

見知らぬ男性が頑張って取り返そうとしてくれたのだけど、

犬くんは喜ぶばかりで

結果的に宿の人に叱られて返してくれました。

かわいかったなあ。

ハムハムされてベタベタになった手袋が返ってきた。

 

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その後も私は

犬ストーカーと化していた。

犬かわいい。

お腹をなでろとゴロンとするのでお腹を撫でると

クールな顔をして、クンクン鳴くのがかわいくて撫でまくっていた。

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チェックインをしたあとは、温泉ですね。

温泉もよかったなぁ。

ダバダバで。

人も少ないから、のんびりできて。

 

ご飯も美味しくて。本当に。

白米が異常に美味しかった。

 

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夜は星が綺麗で。

2、3月だともっと綺麗なんだろうなぁ。

宿のご主人が、紅葉時期が人気だけど、春先、まだ緑が青くなりきる前が好きだと言っていて

またそんな時期に再訪したいものだな、と思いました。

その頃だと装備も冬ほどいらないし。

ただ、熊とかが起き始めちゃうのかなぁ。

 

本当に素敵な場所だったし、また行きたいものです。

さむいのやだ

 

年末に楽しい人たちとの忘年会がはいった。

焼肉とかっていってたけど。

 

明日は朝早い。

さむいのやだなぁ。

 

これってなんだろう、

と考えないことはない。

これ。

だまっているけれど、

だまっているのは

すなわち

なにも考えたり感じたり思っていないわけじゃない。

 

声がいいな、と思っている人から電話があった。

いい声だった。

 

友人が大根を引き抜いているだけの写真を数十枚おくってきた。

意図がよくわかんない。

やはりこの友人も相当変だよなぁ。

 

ああ、さむいのやだな。

寝なきゃ。

大人になると

 

さむい。

さむすぎる。

 

年末年始のことで親から電話がかかってきた。

泣いたり笑ったり忙しい人だな、と思う。

案の定、年末のご飯に私の友人を誘おうとしている。

 

大人になると一年が短くなるのは感動しなくなるからだ、

という説をきいて

よくわかんないなぁ、と思った。

私は単に、生きてきた年数に対する1年という期間の割合が小さくなるからだろう

と考えていた。

という話を友人にしたら、

君の考えと同じものにジャネーの法則というものがあるらしいよ、ときた。

そうなんだ。

 

週末の準備をしなくては。

言葉と肉体

 

かわいらしい文章がきて

憂鬱がぱっと割れた。

年上の男の人にかわいらしい、というのは

変かもしれないけれど

かわいらしい人だな、と思う。

 

人に、

君は変わっているから

君と合う人はほんとうにまれだと思う。

と言われた。

私が変わっているのか

そんなことは知らないけど、

自分の形に合う人なんて

人間そうそう見つけられないものなんじゃないだろうか、と思う。

一回しかプレイできないならなおのこと。

まろやかで誰とでも合う人間でいるよりは、

変な形で合うべき人と合う方がいいと思う。

 

最近、身の回りでボクシングの話をよく聞く。

ボクシングを始めた人、

ボクシングの試合をした人の話、

元プロボクサーで今はライターの人の話。

格闘技一般が好きではなくて、

殴ったり殴られたり、痛いのにな。と思っていた。

なぜそんなことをするんだろう?

と、ついさっき友人に言ったら

身体が思い通りに機能しないときに、

それまで透明であった自分の身体というメディアが

物質性を持っていることを理解するからなのでは。

と返ってきた。

 

だとすると、

有限性を確かめるために殴り合ってるの?

それってしんどくないかなぁ。

身体という軛のことは、

私は殴るとか殴られるとかとは違う方法で感じてきたけれど、

そういう苦悩の状況に至るために殴ったり殴られたりするのだろうか?

私は身体性の苦しさみたいなものを自分の精神の問題から感じてきたけれど、

リアルな身体性の苦しさを獲得することと

それとの違いってなんなんだろう。

言葉があって肉体があるのではなく

肉体があって言葉があるのか、言葉もないのか

そのあたりのことが

最近気になっている。

いつまでも残るだろうから

 

帰路。

なんとか早く出られたから、

終電のひとつ前の電車に乗れそう。

日付が変わる前には駅に着けて

日付がかわって少ししたくらいには家に帰れるか。

 

生きているというのは

変化の中にあるということなんだろうなぁ。

元気に生きていてくれること以上に

何か望むことのできるものはないし。

そもそも、

私が変わった部分だってあるだろうし。

 

話したことを覚えていなくても、

または前まで覚えてくれてたことを忘れているように見受けられても、

そういうことはそういうこととして

受け止めるようにしよう。

興味のリソース配分が変わったんだろうな、と思うし

私も私で、それに対応して自分の興味のリソース配分を変えた方がいいのかもしれない。

要努力。

 

人間、生きれば生きるほど

一日や一月や一年の濃度が薄まっていくような気もして、

であればこそ

例えば15歳の日の一瞬や一日への関与が

とても羨ましく思えてしまう。

そういうものは、きっといつまでも残るだろうから。 

残るものはいいな。

私はそのように関与はし得ないもんな。

そんなことを思っても仕方ないのにね。

 

帰宅。

外寒かったなぁ。

これ、来週はもっと寒いんだろうな。ちゃんと用意しなきゃ。

おそらく携帯繋がらないんだよね、私のキャリアだと。

それもまた一興かなぁ。

孤独であるという前提

 

ボヘミアン・ラプソディ

相変わらず好調なんだなぁ。

この映画、見てて辛くならないんだろうか。

私は始終とても辛かった。

あのライトをちかちかさせるシーンとか。

2回あったけど、どっちも辛かったなぁ。

 

我々が皆、孤独であるという前提はなんの役にも立たない

というのは三島さんが言っていることだけど、

皆、孤独であるということが辛くなってしまう。

あの人もこの人も私も同じ孤独なのに、

それぞれで辛がったり苦しんだりするしかないのだということが。

 

あなたはみんなに愛されているのよ、と言われて

ああそうなんだ!と癒えてしまう孤独や苦しみや辛さではなかったと思うのですが。

 

ということで、

また変な人にやや付きまとわれるようになってしまったのだけど、

そういう変な才能はあるのかもしれない。

今日は、居合わせた男性に芝居をしてもらって助かった。

 

遅い夏休みをとった友人が今日からこっちにいるらしい。

友人、自分の希望に忠実なのはいいことだけど

私にも予定があったり疲れてたりするので

ちょっと、なんか、うん。

やや辟易としてしまうことがある。ふー。

 

真夜中に断続的に目が覚めて

寝た気がしないんですよね、と言ったら

それね、典型的な不眠だから。

と言われた。

そうなのかなぁ。

たまにくる寝付けない時期のほうが辛くて

そっちは不眠という自覚はあるんだけど。

 

よい眠り、よい人生。